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作品名:線路がある限り 作者:烏山鉄夫

第1回 松島見物と鳴子のゆあみ
社会人になって初めての旅行である。さすがに新米なのでお盆に休む事が出来ずに、九月中旬の出発になったが、観光地も空いて居るだろうし、かえって丁度良いかも知れない。相変わらず母との親子旅行である。
8時前に自宅を出発し、8時20分の総武線(各駅停車)に市川から乗り、秋葉原から山手線を利用した。東京へ出るなら快速で行けるが、地下から登る時間を節約する実験のつもりだったが、まずまずの結果であった。
平成一八年九月一二日、雨の中、東京9時32分の東北新幹線で久し振りの旅行は開幕した。車内は時期がずれた事と平日とで子供が居ないので静かであった。郡山到着手前で一旦雨が止んだが、福島到着と同時に再び降り出して来た。
仙台11時33分に到着し、地下ホームに移動をし、12時08分発仙石線快速電車に乗り継いだ。先頭車に乗ったので、運転台の様子が良く判る。トンネルを抜けたので、多賀城からカーテンを開けられたが、ワイパーを動かして居る。車内放送で、女性車掌が必死に話し続けて居る。車内設備、停車駅と到着時刻、ホームが工事中で幅が狭くなって居る……一生懸命さは可愛いが、賛否両論なのが良く判る。
仙石線は仙台と石巻を結ぶ事に由来し、四両編成の通勤型電車が走る五〇キロ余りの線区である。二年前に乗りつぶしのため乗車経験のある路線だ。
今回の目的地、松島海岸駅で下車をする。
駅弁を新幹線の中で食べたので、昼時だがそのまま松島見物をする事にした。
歩いて五分程のところの桟橋から13時出航の「第二仁王丸」に乗船した。二〇分程で外洋に出て、戦乱島や四つ穴の鐘島をはじめとする松島を形成する島々を眺めつつ開放感を味わった。
13時50分に港に戻ると、まだ目にしみる景観を眺めて居たくなる。海岸沿いの道を歩き島々の姿を味わいつつ五大堂を見物した。修学旅行の小学生の元気な姿に顔がゆるむ。一〇名程の小さな団体で、かえって仲良くなれ思い出が作れそうでうらやましい。
伊達正宗歴史館を訪問する。遺骨を元にしてコンピューターを用いて合成された正宗公の肉声が聞けるのだが、とても温かみのあるものだった。東北一の武将であるが、民政も定評のある人物だが、声からも人柄がしのばれる。
次に瑞巌寺に向かう。参道は杉林で昼なお暗き道中であった。七〇〇円を支払い、色取り取りに飾られた、正宗公によって再興された臨済宗の禅寺である。表に出ると、旧・国鉄仙台鉄道管理局による碑が安置されてあった。鉄道殉職者の慰霊碑で、鉄道を愛する者として、先人たちの苦労にひたすら感謝せねばならぬ。
洗心庵という甘味処で名物のずんだもちを食べた。
駅のコインロッカーに預けておいた荷物を引き取り、タクシーで宿へチェックインした。
風呂は温泉でないが、松島の風景をもう一度堪能しつつ長湯をし、楽しみにして居た夕食の時間を迎えた。
東北の名実共に中心地の仙台である。各地から美味しいものも集まるらしく、気仙沼から来たであろうまぐろの尻や山形のさんとん豚が冷しゃぶとなって食卓に登場した。地酒と共に満腹になった。
松島の緑の多さは目の保養になった。いくら賛辞や美しい言葉を並べても、本当の絶景や美味に対して不要だと思う。ずるい様だが、筆不足と言われようが、感想を省略しつつ夢の世界をむさぼろうと思う。

翌一三日、バイキング方式の朝食を済ます。
私の旅はゼイタクである。行き先を選ぶのに、乗りつぶしの上で未乗区間を含む地域を望むからで、日光や箱根など近場だと満足出来ない人間である。
送迎車で松島海岸駅へ運ばれる。8時14分の仙石線普通列車で石巻を目指す。通勤時間帯で本数が多く、陸前大塚・陸前小野・陸前山下と少し走っては交換を繰り返し、数をこなさなければならない。
今日も残念ながら雨である。石巻で一時間の待ち合わせで石巻線小牛田行きに乗り換える。本当は、途中の前谷地止まりがあり、それを見送った分待ち時間も長くなったのだ。
ようやく石巻9時54分発1630D二両編成に乗り込む。鹿又で交換のため三分停まり、気仙沼線と分岐する前谷地で車掌交代をした。「秋の山唄」発祥地である涌谷を過ぎると、列車番号の「D」の記号が示す通り気動車なので、勾配があるのかガソリンの匂いが充満して来た。陸前谷地を出発後、水田の中にサギだろうか、白い鳥の集団が居た。この水田はササニシキが植えられて居る。
終着小牛田は、東北本線と石巻線とこれから乗る陸羽東線が集まる鉄道の要所であった。しかし東北新幹線は古川を通る事になり、人や物資の流れが変わってしまい、小牛田の街は一気に淋しくなってしまった。その様な栄枯盛衰を経験した駅で六分の接続をして、10時39分の陸羽東線1727Dで鳴子温泉を目指す。
実は送迎車を運転する番頭さんが、我々が鳴子温泉へ行くと知って、東北本線松島駅の方が近いと助言してくれたが、石巻線に乗りたかったので、効率の悪さを承知で松島海岸駅へ連れて行ってもらったのだ。第一の目標を達し(ただし石巻・女川間は乗り残し)、第二の標的である陸羽東線の車中となったのだ。
ところが、走り出してすぐの古川で二〇分も停まるとアナウンスがあった。時刻表を確認すると、対向の1732Dと東北新幹線「やまびこ45」号の待ち受けを同時に行うらしい。昔は、通過列車待ちや交換で長時間停車をする事が日常茶飯事だったが、新幹線開通と共に在来線優等列車が削減されると、普通列車の所要時間が格段に短縮された。
今回の長時間停車は温泉客対策であり、質が異なる。しかし、直通する人にとってはひまであり、運転士もホームに降りて体操をして居て、ワンマンカーなので車掌など話し相手が居ないので時間を持て余して居るのだろう。
有備館という藩校の前にある小駅を通り、池月という単純ながら奇麗な駅名を過ぎ、鳴子温泉郷の宣伝のため、駅名改称で温泉と名の付く駅の連続が始まると、鳴子温泉駅に11時56分の到着である。
駅舎を出ると硫黄の香りが鼻をつく。
鳴子はこけしで有名なので、街には大きなこけしが溢れて居る。駅舎には足湯があり、湯の街に来たという気分が高まる。昼時なので、散策を兼ねて食事処を探すと、そば屋があった。山菜そばの店だが、舞茸ちからうどんを注文する。舞茸とうどんの組み合わせが素晴らしく、あっという間に完食をした。食後の一服をして居ると、甘い香りが漂って来た。パイプを吸って居る紳士がおられ、その煙であった。
折角温泉に来たのだから、湯を浴びて行きたい。「吟の庄」というホテルの立ち寄り湯が良い、と案内書に記されて居る。歩いて一〇分くらいで、坂道を登ったところにあった。料金を支払い、早速風呂に入ると、誰もおらず一人占めであった。露天風呂と内湯を合計六回も浸かり満足をした。
鳴子は街並みをおおう香りが示す通り硫黄泉で、湯の花なのだろう、どろっとしたものが湯の中に一杯に広がって居た。
駅に戻り、14時03分の普通列車で小牛田へ引き返す。
窓ガラスに一匹のハエが止まり、必死に掴まって居る。走行による風圧で少々もがいて居る。頑張って貼り付こうとするが、吹き飛ばされるとすぐに掴まり直すなど粘りを見せたが、最後はとうとう手足を離してしまった。行きと同じところを走っており、座席も左右で同じ向きに座り車窓も同じなので、ささやかな楽しみが出来た。
岩出山と古川で交換を行い、小牛田に15時03分着。今度は東北本線に乗り換え、松島駅を目指す。
小牛田15時24分の普通列車は、さすが幹線と思わせる八両編成であった。小牛田から松島まで丁度二〇分の道程である。車両は七一九系という近郊型電車で、お見合い型と呼ばれる座席配置が特徴である。鳴瀬川を渡ったところですれ違った一ノ関行はロングシートの七〇一系で、ボックスシートの車両に乗れて嬉しかった。
愛宕という小ぢんまりとした静かな駅をちらと見て、15時44分に松島に到着した。宿の送迎車を呼ぼうと思ったが、松島地区を一周するコミュニティバスの時刻を調べると、二〇分後に発車する事が判り、少し待つが急ぐ旅では無いので、のんびり過ごすと、マイクロバスがやって来た。宿の前にバス停があり、均一料金で一〇〇円也。本来は後払いのようだが、私たちの他に一人二人なので、先に徴収された。わずか三分の旅であった。
すっかり疲れてしまい、夕食に何を食べたか記憶にない。記念に撮った写真を見てようやく認識した。昨夜に続き豪華だった事だけ記しておく。

最終日である。
本日の予定は、仙台市内を見物して夕方の新幹線で起床する事になって居る。
二晩お世話になった宿を送迎車で発ち、松島海岸駅10時10分の普通電車で仙台へ移動をする。窓の外は雨である。何となく気がふさぐ。仙台に到着し、仙台市営バスのターミナルへ歩を進める。
仙台市交通局により、観光名所を巡回する市内循環バス「ループル」号が運行されており、このバスで市内見物をするつもりで、案内所にて専用の一日乗車券(六〇〇円)を購入し、11時30分発のバスに乗車をした。運転手さんの肉声放送によると、乗車券の提示で割引になる施設がある事、停留所の時刻表(次の車の到着予定)を知らせてくれた。
一三分で、伊達正宗公の墓所「瑞鳳殿」に運ばれた。神妙な顔で手を合わせ、写真を撮らせていただくと、その間に一時間も過ぎたのかと思う。
瑞鳳殿12時45分発のバスに乗車した。車内はレトロ調を出すために木材を多用しており、粋な装いである。今度の肉声放送によると、両替用一〇円が不足がちで両替が出来なくなるので、現金払いの際は一〇円玉を混ぜると助かるとの事。バスに乗る時の基本は小銭の用意だが、一〇円も混ぜるとバス会社は嬉しい様なので、ぜひ実践しよう。
「仙台城跡」で下車をし、城壁を坂道で登ると、宮城懸護国神社があり、そちらを先に参拝をする。すると天幕が張られ、先日ご誕生された悠仁さまの奉祝記帳所となっており、小生の名前も記帳させていただく。
仙台城、別名青葉城の区画へ移動をしたところ、「荒城の月」の旋律が耳に入って来た。おや、それは九州の岡城では無かったかと思いつつ、音のする方へ向かうと、作曲をした土井晩翠氏の記念碑があった。オルゴールが仕掛けらており、一日に数回しか鳴らさない貴重な音色である。土井晩翠氏は仙台出身なのだそうだ。
仙台市が政令指定都市に昇格したのは、一九八九年と比較的新しい。しかし伊達家のお膝下として発展し、明治維新の逆風にも耐え抜いた結果が、青葉城から見下ろした街並として凝縮されて居る。また大都市ながら、杜の都と呼ばれるだけあり緑の多さがわかる。
仙台城跡13時58分発の「ループル」に乗車すると、瑞鳳殿から乗車した車で、運転手も同じ人であった。仙台まで一五分程で戻ると、駅ビルの飲食店へ足を運び、『喜助』と言う店に入る。牛タン定食を注文し、名物に舌鼓を打つ。牛タンを食べるごとに、よくぞ食べたら美味しいと気付いてくれたと思う。
現在一五時〇〇分である。新幹線まで三時間半もある。本日の予定は終了したので、土産を購入し、街をぶらぶらするがそれでも時間が余る。駅前のデッキで夕方の情報番組(天気予報)の撮影をして居た。一八時過ぎには新幹線ホームの待合室に座って居た。仙台発一八時二〇分発の列車に乗り込むと同時に列車は動き出し、あっけない幕切れであった。
明日から仕事だと思うと、新幹線のつまらなさが退屈に感じ、埼京線と並走する頃には非常に不機嫌であった。


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