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作品名:星を道標に ]U 転換点/ターニングポイント 作者:ナナセ

第8回 元凶 1
    

               〜 元凶 1 〜



「痛ッ……」
「あ、悪い」
 抑えていたにも拘わらず口を衝いて出た呻き声に、北斗の手が止まった。
「そっとやってるつもりなんだけど」
「だ、大丈夫。これくらい平気だよ」
「そうか? 痛かったら我慢せず言えよ」
「うん」
 短く答えて、時々感じるピリッとした痛みをじっと堪えた。
「それにしても見事に濡れたな。ぐしょぐしょだぞ、これ」
 まるで俺がやったみたいに言われ、伏せていた顔を上げた。
「人事みたいに言うな。一体誰のせいだ」
 じろっと睨んだら、目の合った北斗が決まり悪そうに頭を掻いた。
「いや、俺だけど」
「だろ? 洗面器で思いっきりお湯掛けられたら、濡れるに決まってるよ」
 憮然と唇を尖らせて、北斗の手元に目を遣った。その手の中には、巻き取られて団子状になった包帯が。

 思いがけず長風呂になったせいで怪我への影響を心配した北斗が、寝る前に傷の手当をすると言い張って、今 俺は北斗の部屋の照明の真下、イスに座らされ、言い合いの元凶となった傷口を晒す羽目になっていた。

 風呂場での一件――『自慰行為』に付き合った後でも、北斗の態度が普段と少しも変わらないから、実は大した事じゃなかったのか? と、少しばかり混乱している。
 これまで生きてきた中で一番ドキドキして、心臓が止まりそうなほど緊張していた。
 俺にとっては一生に一度あるかないかの体験だったというのに、あんな風に柔らかく笑って「気持ちよかった」と言われたら、なんだかいい事をしたような気になるから不思議だ。
 ――いや、いやいや。やっぱり北斗以外の人間だったら、その後の態度ももう少し変わってるんじゃないだろうか。どちらかと言えば気まずい方向に。
 そもそも他の誰ともああいう真似できないし、する気も起きない。
 多分、離れていた時間が長すぎて、その間の北斗の尋常じゃない活躍を目の当たりにして、俺の精神状態も相当不安定になっていたんだと思う。
 そんなあれこれが蓄積されていたから、慰労会の席で、他の野球部員に嫉妬まがいの感情が沸いてきたり、誰も知らない北斗を見たい、なんて、変な願望がのぞいたりしたんだ。
 それに輪をかけておかしかったのは、他でもない目の前のこいつ、だったんだけど。
 
「いいか、ガーゼ剥がすぞ」
 回転イスに座る俺に、北斗が確認の声を掛ける。微かに頷いて、この傷跡を見た時の辻先輩を思い出した。
「あ、…あの、北斗」
 言い終わらない内、傷口を覆っていたガーゼが取り払われ、息を止めた北斗の衝撃を受けた様子が、ひしひしと伝わってきた。
「もう、その反応をするなって言おうとしたのに」
「俺でなくても、みんな同じ反応するだろ、これは」
 眉根を寄せ、痛々しそうな眼差しで傷を注意深く観察する北斗を、おずおずと見上げた。
「やっぱり、北斗の目から見ても酷い?」
「息苦しくなるくらいには、な」
 陰鬱な声で応え、膿が付いて汚れていたんだろうガーゼを、机の横のごみ箱に放り込んだ。
「でもさ、内出血のせいもあるだろ? それが引いたらましになるから」
「俺が言ってるのは傷口の方。内出血も酷いけど、変色が広がってきてるからすぐ消える」
「そ、そう?」
「ああ。それよりこの傷、…相当痛かっただろ」
 たったそれだけの何気ない、だけど俺を気遣う一言が、他の誰に掛けられた言葉よりも深く心に染み入って、これまでとは全然違う意味で泣けてきそうになる。
 こんなにも北斗の優しさに飢えていたのかと、密かに呆れた。
「――うん、まあ。けど試合中の出来事だったから、実は見た目ほど痛みは感じなかった」
 そう答えても、実際の傷を目の当たりにした北斗の表情は暗く沈んだまま。
 他に気の利いた言い訳も思いつかず、重苦しい沈黙に耐えていたら、北斗の方がすっと離れていく。
 目で追うと、最近やたら出番の増えた救急箱を取ってきて机の上に乗せた。

「で、一体何がどうなってこんな怪我したんだ? 原因くらい訊いてもいいだろ?」
 机の端に浅く腰掛け、上から俺を見下ろす。といっても威圧しているわけじゃない。むしろ原因を聞かない事には治療も手に付かない、と言いたげな感じだ。
 一時間前、あんなに怒っていた奴と同一人物とは思えない。
 態度の急変に戸惑いはあるものの、ここまで下手に出られたら黙り込むわけにもいかなくて……。
 仕方なく、怪我を負ったいきさつを、思いつくまま話し始めた。

「えっと、準決勝で同学年の子と当たったんだ。彼とは玉竜旗の時にも一度対戦してる」
「あれ、もしかして雅也が注意するよう教えたっていう道場の跡継ぎか? 確か、個人戦の県代表とか言ってたよな」
「やっぱり、覚えてた?」
 あっさり言い当てられ内心驚きつつも、具体的に相手を知れば気まずくなりそうで、舌打ちしたい気分になる。
 北斗の集中力と、記憶力のよさを忘れていた。
「当たり前だろ。その話したの加納に会いに行った時だぞ」

 和泉の加納君に会いに行く道すがら、電車の中で話した玉竜旗大会での一部始終。
 あれからまだ十日ほどしか経っていないのに、俺には随分昔のような気がする。

「そうだけど、…まあそれはいいや。俺、今回はその彼に前回のリベンジも含めて絶対勝ちたかった、っていうかまともな試合がしたかった」
「玉竜旗では場外で反則負けくらったんだったな」
「………」
 ホント、嫌になるくらいしっかり覚えてる。
 葬り去ってしまいたい過去の戦績をわざわざ蒸し返され、ムスッと答えた。
「そうだよ。今度こそ彼と真剣に剣道がしたかったんだ。それは彼――相馬君も一緒だったと思う」
『彼』だと説明するのにややこしい。それに相手を知られた以上、隠していても意味はない。そう思い名前を口にしたら、いつもは穏やかな双眸が、すっと眇められた。
「――『そうま』、っていうのか、そいつ」
「相原の相で『そう』、馬で『ま』」
「ふん、それで?」
 素っ気無く返されたけど、笑わない眼が怖い。
 変な事、考えてないだろうな? 
 まさか! 北斗に限ってそれはない、と思う。
 不意に湧き出した不安を打ち消す為、必死になって相馬君の弁護をした。

「――それで、最初のうちは互角に竹刀交えてたんだけど、こう着状態が続いて、いらついた相馬君の父親が野次を飛ばしたんだ」
「父親が野次? お前に?」
「ううん、どっちかと言うと相馬君に活を入れた、って感じ?」
「なら問題ないだろ。運動部にはよくあることだ」
「うーん、それがちょっと…ね」
 内容が内容なだけに、言葉にし辛くて口篭る。
「なに、はっきりしない奴だな。何て言ったんだ? 罵詈雑言でも言い放ったのか?」
「そこまで酷くはなかったけど」
「と、言えるって事は、瑞希も覚えてるんだ。それを聞かないことには先に進めないな」
 言い切られ……実は唆された気がしないでもないけど、北斗の言う事も一理ある。
 そう思い、あまり思い出したくない台詞を、渋々口にした。
「――『だらだらやってんじゃねえ! もう一つあるんだろうがっ!』って」
 怒鳴られたままを伝えたら、口を割るよう誘導した当人が、返事に詰まった?
「……それはまた、なんか微妙…というか、中途半端な感じだな」
 仕切り直すように軽く咳払いして、曖昧な物言いをする。今度は俺が首を傾げた。
「そう? けど俺は試合中にそんな事を喚く親、初めてだった」
「ああ、確かに。県大会の時と同じ雰囲気でやってたなら、相当浮きそうだ」
 北斗の口元が僅かに歪む。
 その反応を見て、ちょっと意外な気がした。北斗は絶対嫌悪を感じると思っていたんだ。
 それも俺の勝手な憶測だ。日頃から俺より数倍は荒っぽい連中だし、そういう体験も日常茶飯事、聞き慣れているのかもしれない。

「まあ、屋内の試合はもろに聞こえるから、身内にそんな台詞喚かれたら集中できなくなるかもな」
「そう! そうなんだ」
 北斗なりのフォロー。けど、それは俺の言いたい事を的確に捉えていた。
「そんな事が何回かあって、俺に本気を見せかけていた相馬君が気を乱されてさ」
「それは瑞希も一緒だろ。お前らの試合に向けられた罵声だとすれば」
「そうだけど、でも俺は第三者だから、やっぱり当事者とは違うよ」
「で? その相馬って奴の怒りの矛先が、お前に行ったわけか?」
「ん、そうなるのかな」

 あの時の感覚は、今もはっきり覚えている。
 ゾクッと身震いするほどの『気』。あれが憎悪だったのは間違いない。

「とにかく、ものすごい殺気を漲らせて突きを放ってきたんだ。で、かろうじて避けたらこの有様」
 首の傷を指差し、苦笑を漏らして肩を竦めた。
「監督には自分のミスだって頭下げられるし、白井先輩や安達先輩は相馬君に激怒するし、辻先輩なんか傷見た途端、涙浮かべてさ、ほんと参った」

 わざわざ広島まで応援に出向いてくれた先輩達。それなのに、そんな気分にさせてしまった申し訳なさまで蘇り、いつの間にか肩を落としていた。

 沈む俺の頭上で、盛大な溜息が聞こえた。
「その反応は十分想像できる」
「うん? あ、そうか。北斗の方が付き合い長いもんな」
 たとえ違う部でも、中学から一緒の先輩もいる。
 五年目、それ以上の付き合いにもなれば、同級生じゃなくても大まかな把握ぐらいは自然とできてくる。
 北斗が初めて剣道場に立ち寄った日、白井先輩と話をしていたのも、接点はなくとも、何年も積み重ねた年数があればこそ、なんだろう。
 そんな事を考えていると、机をイス代わりにしていた北斗が、そこから下りて薬箱の蓋を開けた。
 怪我をした経緯に納得がいったのか、ようやく治療に取り掛かる気になったらしい。
 それでも、滅菌ガーゼや包帯を出しながらぼやかれた。
「俺が一番理解に苦しむのは、それを笑って言えるお前の神経」
「え、そう? 変、かな? やっぱり」
「『変』とは言わない。それにそれがお前なんだ。慣れるしかないって悟った」
 そんな風に返されて、目を瞬いて北斗を見返した。
 口喧嘩でも、気まずいのはお互い様だ。だけど今の一言で、自分の怪我を気にしてないと言った俺を、そのまま受け入れてくれたと知った。
「……ありがと」
「礼を言われるのは変だけどな」
 口元に淡い笑みを乗せた北斗が、万一の時の為にと処方された、液体の入ったプラスチック容器の蓋を開ける。それを見て慌てて制止をかけた。
「あ、それ! 消毒する前に一言言えよ、すっごく沁みるんだから」
 顔全体で痛さを表したら、丸められた脱脂綿をピンセットで器用につまんだ北斗が、鼻先で笑った。

 ……ヤな奴。
 弱みなんかみせたくないけど、一人で治療はできないから仕方ない。
 それに、相馬君に関するもう一つの事実。それをどう打ち明けるか、考えていた。


「実はさ、その彼、千藤監督の教え子でもあったんだ」
 手元を見ながらタイミングを計っていたものの、結局読みきれず、もしかしたら最悪の状態で切り出してしまった。
「え?」
 液体の薬を吸収して、黒茶に染まった脱脂綿。それを持つ手が止まった。
 傷口に押し付けられるのが嫌だった、なんて子供じみた理由では、断じてない。ただ単に間が悪かっただけだ。
「千藤先生の教え子? どういう意味だ?」
 顔を上げ、不思議そうに聞き返されて、一瞬口篭った。
 ちゃんと説明できるか不安になったせいだ。
「――昔、大学生の時、相馬君の道場にちょっとだけ指導に通ってたんだって」
「へえ。けど何で今頃?」

 その疑問はもっともだ。本当だったら玉竜旗の時に聞いていてもおかしくない情報。
 今教える事になったのは、監督がそれを隠していたから。


 そこに至るまでの経緯――夕べ広島のホテルで明かされた千藤監督と相馬君の過去を、できるだけ聞いた通り、時間を掛けて詳しく説明した。

 相馬君はやっぱりちょっと苦手だけど、素晴らしい剣士であるのには違いない。
 父親の存在が彼を追い詰めているのはもちろん、千藤監督が西城に来たせいもあって、俺達にいい感情を持てないだけ。
 俺は、彼の剣技を自分以上だと認めている。
 悔しいし癪に障るけど、だからこそ今度剣を交える時には、完璧に勝ちたいと強く思う。
 同学年にそんな相手がいること自体、貴重な存在だと思っている。
 だから北斗にも、『瑞希を傷付けた相手』、なんて情けない理由で、彼を嫌って欲しくなかった。
 俺を大切にしてくれてると知っているから、俺のせいで、物事を公平に見る目も心も持っている北斗に、歪んだ先入観を持たせるわけにはいかない。
 相馬君の事情を知れば、北斗は俺を傷付けた彼を憎んだりしない、――できない。
 それは確信があった。
 そして、その読みは、今度こそ見事に的中した。
 

「そうか、…そんな過去が二人の間に――」
 ぽつりと、呟くように零した北斗が、それきり口を閉ざしてしまった。
 何を考えているのか、俺にはわからない。だから自分の正直な気持ちを明かした。
「けどさ、黙ってた監督を非難したり、責めたり、そんな気持ちは全然起きなかった」
「だろうな」
 素っ気無く頷いた北斗が、小さく息を吐いて続けた。
「それにしても、色んな親がいるもんだ」
 それは、俺の怪我に関して――つまり相馬君に対して、これ以上詮索する気も、非難する気もないという意思の表れだ。
 そのことにほっとしつつ話を合わせた。
「うん、俺も思った。試合中に喚かれた時は正直驚いたけど、親のいない俺としては、そんなのもありか、なんて思ってたんだ」
「ああ、瑞希ならそう言えるかもな」

 一度だけとはいえ、剣道の試合を観戦した北斗には、客席からの声は堪えるものがあったらしい。
 県大会の試合を見た後、屋外の試合との違い…というか、感想を聞いた時、一番最初にそれを挙げてた。
 その時の北斗の口調が妙に歯切れ悪くて、すごく気になっていた。
『客席からの声』とはどんなものだったのか知りたかったのに、相変わらず上手くかわされて、どうにもすっきりしなかった。
 そんな時の北斗は、どんなに頼んでも絶対教えてくれない。
 後日、一緒にいたであろう藤木を問い詰めたら、俺を蔑むような内容のものだったと白状して、それを聞いた俺も北斗の態度にようやく合点がいったんだった。

 初めて缶チューハイで乾杯した県大会での優勝祝い。
 あの時に打ち明けあった、藤木さんとの一戦直後の会場の雰囲気。
 あれは、数ある大会の思い出の中でも、確かに最悪だった。
 

「瑞希の話聞いてたら、いつまで経っても消毒終わらないな」
 ぼそっと零され、上半身半裸状態のまま一向に進んでいない治療に、遅ればせながら気がついた。
「あ、ごめん。でも、もう言いたい事はほとんど話したから、いつでもどうぞ」
「じゃあ遠慮なく。けど痛くて当然なんだから、お前もちょっとは我慢しろよ」
 前もって釘を刺され、微かに頷いた。
「わかってるって。ひとおもいにやってくれ、覚悟が鈍る」
「その台詞、まるで切腹前の武士だな」
 呆れ半分に言われ、「えっ」と、顔を上げた。
「そんなに芝居じみてた?」
「いいや。お前は根っからの剣士だよ、妙に合ってる」
 クスッと目の前で笑われて、忘れようとしていた風呂場での一件がまた蘇る。

 これって、ヤバくないか? 
 北斗のこの笑顔を見る度に思い出すんじゃ、俺だけ変に意識してしまう。

 当人をちらっと盗み見ても、やっぱりいつもと変わらない。
 消毒薬を染み込ませた脱脂綿を、首の傷口に慎重に塗っていく横顔は真剣そのもので、思わず口から出た呻き声にも、至近から息を吹き掛けて痛みを和らげてくれる。
 他に何の意図も含みもないのに、妙にドキドキして……しかもくすぐったくて、思わず首を竦めた。

 ここまでいつも通りにされると、逆になんか悲しい…というか空しい。
 何故かと自問自答してみれば、答えは簡単明瞭。意識しているのが俺だけ、だから。
 あれって、ほんとにそんなに何でもない事?
 普通の健康な男子高生の間では、お互いにし合ったりするのか?
 ……そんな事も、俺にはわからない。
 孝史にでも訊いてみたら、確かな答えを示してくれるんだろうか? なんて思いついてみても、あんな真似(こと)、誰にも言えるわけない。
 だからどうしても、一人グルグル考えてしまうんだ。

 本当に掴みどころのない人間。もしくは『読めない奴』。
 どっちにしても厄介で、それでもって頼りになる男、なんだよな。

 チューブ式の薬を滅菌済みのガーゼに塗り、傷口に貼り付けた北斗が、真新しい包帯で俺の首を覆っていく。
 この傷に携わった、何人かの看護師の馴れた手付きを思い出す。
 それに少しも引けを取らない北斗の手際のよさを素肌に感じながら、諦めにも似た溜息が零れた。



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