小説&まんが投稿
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:星を道標に ]U 転換点/ターニングポイント 作者:ナナセ

第18回 光明 3


               〜 光明 3 〜



 急激な吐精感。
 それは気持ちいいというより痛みに近く、全力疾走した後の激しい疲労に似ている。
 全身、重だるい虚脱感に襲われ、腕すら上がらない。
 ここが風呂場じゃなかったら、きっと倒れ込んでいた。

 ドクドクと激しく打つ脈も、荒い息遣いも、この場の全てが非現実的で―――
 それなのに目の前の光景だけが、異様にリアルに視界に焼きついていた。


 このままじゃ駄目だと頭ではわかっているのに、病み上がりのせいか、普段の何倍も疲れ、意思と手足がバラバラで、思うように動かせない。

「………瑞希の…馬鹿」

 ただ一ヶ所、どうにか動いた口から出た言葉は、到底褒められたものではなかった。

 上半身を支えるように浴槽の縁に手を掛けて、こんな事になってしまった張本人を、恨みがましく睨み付けた。
「あのタイミングで『いやだ』はないだろ」
 止める事もかなわなかった最悪の事態に、瑞希を責めてしまうのは仕方ない、と思う。
「ご、ごめん、つい……」
 真っ赤になってどもりながら謝られても、この惨状を目の当たりにすれば、腹が立って当然だ。
「『つい』、じゃない! いきなり抱きついたりするから……」
 続く言葉を飲み込んで、自分の放ったモノの行き先に、再び大きな溜息を吐いた。

 本当に、こんなはずじゃなかったんだ。
 なのに、手近に何か拭き取るものを探して目を離した隙に、瑞希が自分の腹部に滴るそれを、あろう事か触り始めた。
 振り向いて、その光景にまた愕然とする。
「触るなっ! 頼むから動かないでくれ。すぐ洗い流すから」
 老体……に近い状態の身体に鞭打って、どうにか立ち上がり、壁に掛けていたシャワーを外す。と、
「何で? これって汚くなんかないんだろ?」
 きょとんとした顔で見上げられ、平然と訊かれた。
「いいや、十分汚い」
 はっきり、きっぱり否定する俺は、瑞希の顔をまともに見ることもできない。
 居たたまれない気分で蛇口のレバーを切り替えていると、沈んだ声が届いた。
「それでも、俺には一生縁のないものかもしれない。それに北斗が付き合わせてくれるのは、これが最初で最後、なんだろ?」

 瑞希の心と身体、両方を侵食し続けている『暗い闇』。
 ストレートに口にされ、俺の方が返事に詰まった。

 ――『最初で最後』。

 当たり前だ。
 今でさえ、迷いに迷った末、ようやく決断したんだ。
 大体、他人に見せたり付き合わせたりするものでもない。
 なのに、瑞希の淋しげな声を耳にしたら、返事をするのがどうしてか躊躇われて……
 振り切るようにシャワーの水を勢いよく出し、水音に混じって「そうだ」と、答えた。

 わざわざ確認しなくとも初めから察していたんだろう、ゆっくりと頷いた瑞希が、今宵限りの願いを、囁くように唇に乗せた。

「なら、もう少しこのままでいさせて」

 息苦しくなるほどの切ない願いに、動きが止まる。
 いきなり水を掛けるわけにもいかず、じれったい思いで温度が安定するのを待っていた俺は、もう……何も言えない。

 その願いは、俺にしてみれば羞恥心を増幅させるだけのもので、今すぐにでもここから出て行きたくなる。
 だが、瑞希の心情を思えばそんな真似できるはずもなく、黙って視線を外し、レバーを『止水』に合わせた。

 再び静かになった浴室で、諦め気分でシャワーの取っ手を持ったまま、瑞希の横に背を向けて座る。

 今の瑞希を見たくない。
 見るのが……恐かった。



「――ったく、よりにもよってお前にぶっ掛けるなんて、最悪……」
 自己嫌悪丸出しで呟けば、
「でも、行為が嫌だったんじゃないんだ」
 瑞希が焦って言い訳する。
 本心からの言葉だと知っているから……現実を目の前に突き付けられて、怖くなったんだと気付いたら、これ以上瑞希を責められない。
 でなければ、あのタイミングで、あんなに必死にしがみ付いてきたりしない。

「わかってるよ、そんな事。本当に嫌だったら、とっくに突き飛ばされてる」

 それはわかっている。
 が、結果がこれでは気まずくなるのも当然で―――

 一人にさせて欲しい気分で、敢えて背を向けていたら、
「なんか変な匂い。精液ってこんな匂いするんだ」
 背後から、眩暈のしそうな台詞が聞こえた。
「一々口に出すな! それににおいも嗅ぐんじゃない」
 あまりの恥ずかしさと憤りがない交ぜになって、怒鳴りたい気分で振り返れば、
「だって、どんなものか興味あるよ、やっぱり」
 こっちの動揺も意に介さず、興味津々な眼差しで、指に掬ったそれを眺めている。
「それは……そうかもしれないけどなっ、……」

 これまでの苦悩を思えば、それらの行動も理解できなくはない。
 だが、しかし……。
 口を開け、何か言おうとしたけれど、結局何も言えず頭を抱え込んでしまった。

 見過ごしていいのか? 
 わからない。
 だが、強制的に止めさせる事もできそうになかった。

「――北斗? …あの、自分の…って、そんなに嫌なもの?」
 そんな事、訊かれても困る。
 それを体験できない今の瑞希に、この気持ちを伝える術など知らない。
「……じゃなくて、お前が触るのが嫌なの。そんなのさっさと洗い流してしまいたい」
 一人の時なら、とっくに始末している。
 今回も、瑞希が抱きついたりしなければ、そうしていた。
 なのに、俺のぼやきを聞いた奴が、やけに嬉しげな笑みを浮かべた。
「まだ駄目、もうちょっと味わいたい」
 その一言で、一気に血が上った。
「バッ……お前〜、変態モード入ってるぞ」

 俺の放ったモノを身体で受け止めても動じないどころか、指に掬い、興味深げに眺めるのを見れば、日頃のこいつを知っているだけに、おかしなスイッチでも入ったんじゃないかと心配になる。

 瑞希も少しは自覚があるのか、
「あ、やっぱり? 俺もそうじゃないかなぁとは思ってるんだけど、止まんない」
 などと、惚けた事を言う。

 その余裕、どこから来るのか、俺こそ知りたい。
 もしかして、俺が思う以上の大物なのか? それとも底なしの鈍感か。
 いずれにしても、もう俺のスケール―常識―では、測りきれない。

「……なあ、その好奇心、どこまで続くんだ?」
 ほとほと弱り果てて問えば、情けない俺をからかうように、わざとゆっくり首を傾げてみせる。
「ん? う〜ん、…視覚に触覚、それから嗅覚で、あと、味覚?」
 そう言われ、脳裏に浮かぶ危険な妄想。
「駄目っ! もう流すッ!! こっちまでおかしくなる」
「あっ、ウソ! 冗談だよ冗談」
 慌てた瑞希が制止を掛けるも、俺の忍耐が限界だった。
「うるさい!」
 シャワーの取っ手を放り出し、片付けていた洗面器で浴槽の湯を目一杯掬って、瑞希の腹部に至近からぶちまけた。
 全身ずぶぬれになったが、そんなのに構ってられるかっ。
「うわっ! ひどっ北斗! 人がせっかく満喫してるのに」
 喚く瑞希に、
「知るか! 自分のでしろ!」
 問答無用に言い捨てて、二杯目を掛ける。
「できないから頼んだんだろ」
 売り言葉に買い言葉だったのか、諦めにも取れる台詞を口にされ、堪らず叫び返していた。
「できる!」
 と。
 驚いたように見返され、すぐに激昂した自分を恥じ、諭すように言葉を紡いだ。
「――俺は、そう信じてる。だから、…自分を汚すなよ、瑞希。頼むから」 

 それは、祈りにも似た、切なる願い。
 心からの、偽りのない心情だった。

 瑞希にもそれが伝わったのか、ふてくされたまま、渋々呟いた。
「……わかった。じゃあ…流す」
 そう言った顔には、不満の色がありありと出ていて、どう接すればいいのかわからなくなる。

 瑞希への欲望が、抑えようもなく溢れそうな気がしていた。
 あのシチュエーションでは、そうならない方が変だろう。
 それなのに、穢れのない真剣な眼差しが、俺の中の下心を、完全に沈静化してしまっていた。
 あんなモノを、いつまでも身体に纏って嬉しそうにされれば―――
 どれほど大人の身体に憧れ、その時を待ち望んでいたか、嫌でも察しがつく。

 心の軋む音が聴こえてきそうで……俺の方が辛くなる。

「――馬鹿だな」

 それは、どちらにともなく零れた想いだった。

「え? 何て?」
 赤みの残る顔で見上げられ、何でもないと首を振り、洗面器を床に下ろした。
「俺が洗うから、お前はじっとしてろ」
 そう言い置いて、ドアに向かった。



← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 小説&まんが投稿屋 トップページ
アクセス: 3757