小説&まんが投稿
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:星を道標に ]U 転換点/ターニングポイント 作者:ナナセ

第16回 光明 1
     

               〜 光明 1 〜



 ふと背後に視線を巡らせば、アクリルのドア越し、瑞希の姿が透けて見えた。
 ドアを閉めたまま、そこから一歩も動いてないようだ。

 ……出て行けないのは俺のせい、か。

 それに気付きながらも、少し頭を冷やそうと、腰掛けていたイスをシャワーの下の台の横に戻し、浴槽の縁に座り直した。


 吉野の家は、おじいさんとおばあさんの事を考えてか、バリアフリーは当然、手摺までいたる所にある。
 この、都会の一戸建てにしては広めの浴室も例外じゃない。
 浴槽に沿って横付けのバーと、縦方向にもステンレスのパイプが取り付けてあるし、今腰を下ろした縁も、俺の住んでいたアパートの風呂の倍以上の幅になっている。
 ここに一旦座り、パイプに捉まって足を浴槽に入れれば、転倒とかの心配はほぼ解消されるに違いなく、瑞希の両親の、祖父母への気遣いが窺える。
 今でこそ常識として扱われているが、二十年近く前にそこまで考えていた人が、一体何人いただろう。
 そんな、さりげない思いやりの心を持っていた人達は、生前、俺へも限りない優しさを与えてくれた。
 可愛がるだけじゃなく、駄目な事を「駄目だ」と、叱る強さを持った、本当の優しさ。

 その人達の息子に、俺がこれからやろうとしている事は……裏切りに近い。

 許されるだろうか。
 ―――それとも。

 暫し考えて、決断は瑞希に一任する事にした。
 逃げだと言われても仕方ない。
 実際、恐くてたまらない。
 だが、気付かない振りも……もうできない。

 瑞希は、どう思うだろう。
 こんな事を誘う俺を、軽蔑するだろうか。
 もしかしたら、同居も白紙にされるかもしれない。

 そんなマイナス思考を振り払うように、「瑞希」と、声を掛けた。

 迷っていても始まらない。
 瑞希がドアの傍を離れない。
 それが、今の俺の唯一の救い、もしくは頼みの綱だった。


「まだ…そこにいるんだろ」
 瑞希の反応を見る為、敢えて訊くと、すぐに「ごめん」と謝罪された。
「いつまでもこんなとこにいられたら落ち着かないよな」
 動けずにいた自分を詰るように、慌てた様子でドアから離れた。
「すぐ出るから」と、身支度を整え始める。それを止める為、「待てよ」と言った。
「え?」
 瑞希が、当然聞き返す。構わずに、
「電気、消して」
 と、告げた。

 暗くなった浴室のドアに脱衣室の瑞希の姿が、影絵のようにはっきりと映し出される。
 まだ何もまとっていない素の身体が、モザイクのかかった怪しいビデオみたいに見える。
 野球にしか興味の持てなかった俺だが、それくらいの知識はおせっかいな――もとい、友達思いの仲間によって遥か昔に植え付けられた。
 ついさっきまで文字通り裸の付き合いをしていたのに、その時よりも今の方がそそられるのは何故なのか。
 好きな奴の微妙な姿に、思わず見入りそうになり、一応人並みに男だったのかと、素直に驚いた。
 ただし、そんな自分の新発見を喜べるわけもなく、複雑な気分で「そっちも」と、付け足した。
 ドアの向こうにいるのが女性ならこの感情も十分まともなんだが、そんな俺の動揺に気付きもしない瑞希は、何を言っているのか理解できなかったんだろう。
「あの、脱衣室…も?」
 明らかに戸惑いを見せ、聞き返した。
「ああ」
 素っ気無く答えると、意外にも抗議の声が上がった。
「だって俺、見えなくなるよ。服着るまで待てない?」
 そう言った本人が、自分の言(げん)を恥じたのか、押し黙ってしまった。
 だが俺は、「待てない?」と訊かれた事に、逆に受けた。
 暗くさせたのは自慰に耽る為だと思ったらしい。が、一人でするのにわざわざ電気を消したりしない。
 生まれてからずっとこの身体と付き合ってるんだ、まさしく今更、だ。
 とは言え、瑞希らしい勘違いに、知らず苦笑が洩れる。
 こんな時に笑える自分にほっとして、再び呼びかけた。
「着なくていい。来いよ、こっちに」

 自然に誘えた事を不思議に思いつつも、一旦口にしてしまえば後は流れに身を任せるしかない。
「お前が来たいなら、…いいよ、こっち来て」

 我ながら、随分大胆な事を言っている、と思う。
 その先にある未来(もの)が、どんな結末を用意しているかも、まるで見えないというのに。

 子供の頃、無鉄砲は瑞希の十八番だった。それは今もあまり変わっていない。
 一方、俺は野球では無茶をする事もあるが、日常の中では色々考えて、踏み止まる事の方が圧倒的に多かった。

 内容が内容なだけに、この突然の誘いにあっさり乗るとは思っていない。
 困惑を隠せない瑞希に、彼の……自分では触れられない想いを、代弁してやった。
「……『知りたい』んだろ、瑞希」
 すると、かろうじて聞き取れる、か細い声が返ってきた。
「そ……れは、そう……だけど」
 俺以上にうろたえているのが、手に取るように伝わってくる。
 そんな当たり前の事にようやく気付いて、俺も幾分か落ち着きを取り戻した。
「ただし、来るならそっちの電気も消して」
 一人なら明るくても平気だが、瑞希も一緒にとなれば、さすがに煌々と照らされる照明の下では抵抗がある。
「……本気?」
 その問いに、迷いなく答えた。
「本気。――二十秒待ってやる、その間に決めろ」
「二十秒?」
 怪訝な声で聞き返され、俺の方が首を傾げたくなる。
 ついさっき自分で言った台詞を引き合いに出したのに、もう忘れているんだろうか。
 ちょっと呆れ、それならと、わざと真剣な声音で付け足した。
「二十秒あれば夏服脱げるんだろ。なら、シャツくらい着れるよな」


 俺は、弱い人間だ。
 肝心の決断は瑞希に委ねてしまう。
 選択肢を用意して、「お前の好きにすればいい」と自由に選ばせる振りで、俺の隣に来る勇気を、あいつ一人に押し付けている。
 酷い事を……させている。
 少々強引にでもいい、俺がしっかりリードして導いてやれば、これほど困惑することなく、知って当然の事を一つの知識として知る事ができるのに。
 男として生を受けた以上、当たり前の常識(こと)。
 にも係わらず、あいつを試すような、苦痛な選択を強要している。

 今の瑞希なら、恐らくこの誘いを断る事はしない……できないだろう。
 それに気付いていても、強く「来い」と言えない。
 その言葉で生ずる責任の重さを、負うのが恐い。

 瑞希に、俺の判断で男の性を教えて、彼が変わってしまったら?
 今の、少年と大人との間でバランスを取りながら、どうにか立っている瑞希の、根底まで変えてしまう事になりはしないだろうか。
 それは、俺の望むものではないというのに。

 そんな事をあれこれ考えていると、脱衣室の明りが――消えた。


 目を閉じ、息を詰めて気配を探る。
 アクリルのドアが静かに引かれ、蒸し風呂状態のここより遥かに涼しい外気と共に、瑞希が戻ってきた。


 目を開けると、外にある外灯のせいか、中の様子はどうにかわかる。
 だが、瑞希の方がまだ目が慣れてないらしく、ドアを閉めたところで動けずにいた。

「北斗、俺……」
 何を言えばいいのか逡巡していた俺より先に呼び掛けられ、その声の頼りなさに我に返った。
 俺が動揺してどうする。瑞希は勇気を出してここに戻って来たんだ。それをサポートもしてやれないなんて、情けなさ過ぎるだろ。
 そんな、わけのわからない使命感に駆られ、密かに自分に喝を入れ平静を取り繕った。

「足元……見える?」
 取り合えず、ここまで来てくれないと話にもならない。けど、立ち上がって手を引いてやる事ができない。
 実はさっきから、身体に力が入らなくなっていた。
 恐らく極度の緊張のせいなのは明白で、申し訳ないと思いつつも、瑞希に隣に来るよういざなった。

 一足ずつ、瑞希が慎重に歩を進める。

 今、何を考えているのか、知りたい。


 ――興味。


 ――恐怖。


 ――好奇心。


 ――羞恥心。


 どちらにせよ、俺と同じに迷いまくり、悩みまくっているに違いない。

 そう思うと、怖さの中に愛しさが生まれ―――知らず、口元に笑みが浮かんだ。


 きっと今 俺達は、同じ想いの中にいる。
 



 微妙な距離を置いて、瑞希が俺の隣に座る。
 その横顔は微かに色付いて、恥ずかしさを必死に隠しているのが、初々しいと言うよりも痛々しくて。
 石のように固まる瑞希を前に、俺もまた、どう切り出せばいいのか、思案に暮れていた。


 どのくらい経っていただろう。
 その間、あまりにもガチガチに緊張している瑞希をどうにかしてやりたいと、ずっと考えていた。
 そこで、部屋での会話を思わせるように、「なあ、瑞希」と呼び掛けた。
 ところが、「は、はい?」と返された声が、すでにいつもの声(もの)じゃない。
 笑うところではないが、瑞希を相手にしているとどうも調子が狂う。
 ある程度予測はしていたが、それを遥かに上回る態度が、ありがたいことに俺の強張りをどんどん解していった。

「……そんな緊張するなよ。俺にまで伝染る」
 微かに笑んで言えた俺は、普段の自分をかなり取り戻していた。


 一方の瑞希は、と言うと、未だだんまりを続けている。
 きっとどうしていいかわからないんだろう。
 当然だ。
 生まれて初めての体験をしようとしている。いや、正確には『見る』のか。
 どちらにしても、隣でこれほど緊張されていると、俺の方が無理な気がする。

 細く息を吐き出して、瑞希の右手首をおもむろに掴んだ。
 甲子園のマウンドで、駿が落ち着く為に俺の心音を聴きたがったのを思い出したからだが、手首を掴まれた瑞希が、「あっ」と声を上げた。
 それが妙に切羽詰ったものに聞こえ、ああ、と気付いた。

 去年の春、大川の土手で俺の身体の昂ぶりを教えるのに、このシチュエーションで導いた、それと重なったらしい。
 だが、今はそんな心配無用だ。
「怯えなくていい、ほら」
 そう言って、瑞希の手の平を俺の心臓の上に押し当ててやると、瑞希が戸惑いつつも少し顔を上げる。それだけで昨日の試合以上に鼓動が激しくなった。
 正直すぎる反応に、苦笑が浮かぶ。
「瑞希にもわかる? 俺の心音。すごいドキドキしてるだろ」
 隠す必要も飾る必要もない。
 有りのままを教えると、瑞希にもその意図が伝わったのか、やっと会話が成立した。
「え、うん。…駿にも、これを伝えてたのか?」
「ああ。あそこじゃこれが一番手っ取り早く、みんな一緒だって伝わるからな」

 言いながら、何万人もの歓声が脳裏に蘇る。
 あんな体験、そうあるものでもないというのに、たった一人の存在が、それをこうも簡単に凌駕してしまう。
 そんな事、気付きもしないんだろうと思いつつ様子を伺えば、瑞希も思い出したのか、固かった表情がほんの少し和らいでいた。

「そうか、…そうなんだ」
 やたら神妙に頷いて、「なら」と、初めて俺を見返した。
「今は北斗、俺と同じ?」
 そう訊かれ、頷きかけて止めた。
「いや、多分お前以上に緊張してる」
 なんせ人前でするのは初めてだ。
 誘いはしたけど勃たない、なんて事になったら、どうすればいいんだ。
「それはないよ」
 心の声を聞いたように返され、横顔を見ると、「でも」と、付け足された。
「うん、ほんのちょっとだけど、落ち着いた」
 そう言って、ようやく微かに笑みを浮かべた。

 横顔はまだいつも通りとは言えないが、笑えるようなら大丈夫か。
 そう思いほっとしつつも、少し、話しておきたい事があった。
 


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 小説&まんが投稿屋 トップページ
アクセス: 3755