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作品名:星を道標に ]U 転換点/ターニングポイント 作者:ナナセ

第15回 それぞれの事情 2

                〜 それぞれの事情 2




「そういえば、北斗がマウンドに立ってるの見て、俺だってひどく驚いたよ」

 いきなり切り出された話題は唐突で、まさかここでその話になるとは思いもしなかったが、『驚いた』と言われ、(だろうな)と、一人密かに突っ込んだ。

「……やっぱり見てたか」
 山崎に聞いてはいたが、本人の口から聞かされるのとは、受けるインパクトが雲泥の差だ。
「うん。監督が手配してくれたんだ。閉会式終わって即、テレビのある部屋に走ったよ」
 その時の状況が容易く想像でき、口元に笑みが浮かぶ。
 あんなに俺達の試合を見に来たがっていたんだ。たとえそれが自分の試合終了直後でも、テレビ中継という媒体越しでも、一番に駆け出したに違いない。
 それほど楽しみにしてくれていた。
 それなのに……。

「――ごめんな、瑞希」

 ぽつりと零れた謝罪の言葉。
 資格もないのに、あれだけ多くの応援に後押しされながら、初勝利を手にする事も叶わなかった。
「甲子園、呼んでやれなくて。お前の怪我を怒るより先に、謝るべきだった」
 顔が見えなくてよかった。
 こんなに沈んだところなど、これまで誰にも見せたことない。気取られた事すらないはずだ。
 そうそう落ち込む事もない俺だが、今夜はどうも駄目だ。
 瑞希のマイナス思考が移ったみたいに、浮上するきっかけが見えず、滅入るばかりだ。

 昨日、明峰との試合開始直前に教えられた瑞希の決勝進出の一報は、間違いなく野球部への追い風となって、普段以上の力を発揮させてくれた。
 県予選に始まり、玉竜旗大会、全国大会と、瑞希は見えない力で俺達を高みへといざなう。
 こんな事を比べるのはどうかと思うが、やはり瑞希のもたらすそれは、他のどんな応援よりも効果絶大だった。
 日本独特の武道が――穢れない精神が、そうさせるのかわからないが、もしも剣道がもっとメジャーなスポーツに位置づけられていたとしたら、瑞希は間違いなく俺達以上に注目の的になっていただろう。
 そんな人間に、俺のした事と言えば――。

 自己嫌悪の固まりと化し、静かに落ち込んでいたら、同じく沈黙していた瑞希が、また俺の身体に腕を回し、抱き締めてきた。今度は泡の上からそっと、滑らせるように。

「いいんだ」

 囁きにも似た呟きが、背中に押し当てられた額から直に響いて、感情の波を抑えているのが伝わって、俺の方が何も言えなくなる。

 何もかも許してしまう瑞希に、苛立ちは少しも感じない。
 もっと我侭を言って欲しいとか、はっきり責めてくれた方が楽だ、とも思わない。
 その代わり、いつまで経っても離れようとしない瑞希に、愛しさが募る。
 普段の俺以上に、スキンシップ過多になっていると感じるのは、気のせいなんかじゃない。
 やたらひっついてくるのは、さっきの言い合いが原因なのか、それとも一人でいる時間が長かったせいで、人恋しくなっているからか。

 いずれにしても、これ以上密着されると、俺の方が冷静でいられなくなる。

「――瑞希、包帯濡れる」
 そんな想いを悟られないよう、さり気なく声を掛けた。

 自分一人で克服する強さが必要だと、スランプの事を打ちあけなかった。
 それなのに、結局瑞希にばれてしまい、その後は気遣わせてばかりの情けない有様になってしまった。
 そして今も、強く抱き締める腕を、自分から離す事ができない。

 それでも、と思う。
 こんな俺でも慕ってくれる瑞希に、相応しい自分でありたい。
 その精神の気高さの半分でいい、俺にも勇気が欲しい。
 回された愛しい腕を、外すための勇気が。

「交代。お前に任せといたら、朝までここに居座りそうだ」
 前に回された両腕に手を掛け、やんわりと外させ、イスを譲った。



 瑞希の望み通り、包帯の際から背中全体を丁寧に洗っていく。
 ただし、人の背中など野球部のメンバー以外洗った事がないから、力の加減がわからなくて困る。
 あいつらのは見た目通り、日焼けした頑丈極まりない皮膚をしているから、どれほど力を入れて擦っても大丈夫なんだが、瑞希のは違う。
 真近で見て、触ると、一層はっきりその違いに気付かされる。
 日焼けしてない全身は、女性と見紛うくらい白く、キメの細かな滑らかな肌は、触れるのが恐いほどで―――

 止め! 駄目だ、女と比べるなんて! 自分の首を自分で絞めてどうする。

 危ない方向に思考が行きかけたのを辛うじて踏み止まり、無我の境地で洗うことに集中していると、こっちの健気な抵抗に気付きもしない奴が、またろくでもない事をお願いしてきた。

「頭、ついでに洗ってくれないか?」
 そう持ち掛けられ、あと少しで終わると耐えていた俺の、タオルを持つ手が止まった。
「……面、今日は被ってないだろ」
 暗に「我慢しろ」と促したつもりだった。なのに、瑞希にその気は更々ないらしい。それどころか、
「昨日は被りまくってたよ。けどさすがに頭までは洗えなかったから」
 などと、とんでもないことを暴露する。
「当り前だ!」
 昨日の風呂でさえ、普通は控えるもんだろう、と怒鳴りたくなる。
 気付けばチームメートにするように、目一杯本気の力で背中を擦りかけていた。
「イタッ、痛いよ北斗。さっきと今の中間にしてくれ!」
 悲鳴に近い声で訴えられ、我に返って謝った。
 瑞希からは、
「なんでそう極端なんだ」
 と、ぼやき声が上がるが、『お前が余計な仕事を増やすからだろう』、と言いたい。
 もう何も言わず、きっちり背中だけ洗ってやり、固く絞ったタオルで包帯の近くの水気を丁寧に拭き取った。
 その間、瑞希も口を利かなかったのは、俺の意向を気にしていたからだ。
 俺と同じに黙り込む瑞希の胸中を想い、短く嘆息して向き合った。
「で、どうすればいいんだ?」
「え、何を?」
 きょとんと聞き返され、わざと素っ気無く告げる。
「頭、洗うんだろ。どの態勢で洗えばいいか訊いてんの」
 言うのと同時に、瑞希が喜色満面で振り向いた。
「ホントに!? いいの?」
 嬉しそうな表情は、再会してから一番の笑顔だ。
 そんな顔を見せられたら、もう「嫌だ」とは言えない。
 ズルイよな、と思いつつ、洗い終えた時の為に、乾いたタオルを脱衣場に取りに行き、戻ってみると、瑞希が浴槽の中でグルグル回っていた。

「何やってんだ、お前は」
 まるで子供だ。いや、まだ半分以上子供な奴だった。
 こんな面を見せるから、成長も四、五年……それ以上に遅れているのでは、と、真剣に思えてくるんだ。

「は〜、この絶妙な湯加減、もう最っ高!」
 心から満足げに、バスタブの中で湯と戯れている。
 確かに、ホテルの狭いユニットバスでは、これほどゆったり湯に浸かるのは無理だ。それに試合を控えた身では、俺達同様、寛ぐ時間さえなかったはず。
 唯一、夕べだけはのんびりできただろうに、この怪我のせいで限りなく制限されたに違いない。
 気持ちよさそうに湯の感触を楽しむ瑞希を眺めていて、そんなに水が好きなら、怪我が治ったらマリンパークのプールにでも誘ってやるかと思いついた。
『カナヅチ』って事もないだろうけど、もし泳げなかったら教えてやれる。インストラクターは俺のバイト内容の一つだ。

 そこで、唐突に思い出した。バイト、もう随分行ってない。

 和泉高校の代理として全国大会への出場が決まったその日に、報告も兼ねて謝罪しにマリンパークに行くと、
「甲子園から戻るまで、気長に待ってるよ」
 と、スイミングスクール責任者である片平さんに逆に激励されたが、こうもいい加減な事をしていればさすがに気になる。
 向こうにとってはたかがバイト、代わりは沢山いるだろうが、俺には死活問題だ。早めに復帰の挨拶をしに行かないとやばい。

 急に心配になり、頭の中で明日の予定を組み直していると、下からのんきな声が掛かった。
「んじゃ、よろしくお願いします」
 頭を浴槽の縁に出し俺を待つ奴が、『リードを付けろ』とせがむランディーと重なるのは、何故だろう。

 向かい合うようにイスを動かし、腰を下ろして、シャワーの湯加減を確かめる。
 目の前で俯く瑞希の耳元に手を添え、うなじから下に向かって湯を掛けていった。
 こんな事、床屋でされた事はあっても、誰かにした事なんて一度もない。またしても初めての体験、だ。
 ただ相手が瑞希だからか、さほど緊張もせずどうにか真似事みたいな洗髪にはなった。
 一度目は少し多目にシャンプーの液を取り、ざっと洗い流す。
 二度目は少量でしっかり、尚且つ丁寧に洗ってやった。
 それまで結構饒舌だった奴が急に黙ってしまうから、何となく気詰まりになった。
 ど素人の俺が洗っているんだ。もしかしたら息がしにくいのかもしれない。そんな心配が沸き起こり、ちょっとふざけて話しかけてみた。
 それこそが、間違いの元だった。

 瑞希はいつもと全く変わりなかった。
 どうやら自分の世界に浸っていただけらしく、俺の呼び掛けで、すぐに現実へと戻ってきた。
 それどころか―――
 俺の指が気持ちいいなどと臆面もなく言うから、思わず自分の手を見詰めた。
 直後に俺を襲った激しい羞恥は、よからぬ事を妄想してしまったせいだ。
 自分が赤くなった自覚が有り過ぎて、顔を上げかけた瑞希の頭を思わず押し付けた。
 一瞬とはいえ、邪な事を考えた直後の表情なんか、見られてたまるか。
 そう思い、俺も必死だった。
 その甲斐あって、顔を見られる事はどうにか阻止できた。なのに、肝心の『息子』が、俺の努力をあっさり裏切った。
 ヤバイと思えば思うほど、身体の中心に熱が篭る。それは、どうにも治まりそうにないほど昂ぶりを見せ始め――
 鎮めるのは無理だと諦めて、細く息を吐いた。
 瑞希の肌を見ても反応を見せなかったのは、確かに体調不良もあるかもしれないが、自分を抑え続けていたからこその成果だった。
 それが、当人の何気ない一言で、あっさり瓦解してしまった。
 それでも、なんとか気取られないようさっさと終わらせなければ。
 それだけ考えて、焦る気持ちをひた隠し、仕上げのトリートメントまできっちり施した。

 すすぎ終え、液を綺麗に流しきり、バーに掛けていた乾いたタオルで水気を拭き取ってやる。
 仕上げにそのタオルを肩に掛け、「終了」と告げた。
 これでようやくお役御免だ。瑞希がいなくなれば後はどうとでもなる、そう考えていた。
 まさか、俺の変化が瑞希にばれていたなど、思いもしなかった。

「俺を早く上がらせたいのって、そのせい?」
 唐突に言われ、視線の先を追った俺は、気まずさもあって、つい舌打ちをした。
 それが、瑞希にどんな影響を与えるか、考えもせずに。

「気付いてたのか」
 顔も見ずに問えば、
「うん。……あの、ごめん」
 と頭を下げる。
 自分のせいだという自覚があっての事か、気付いてしまった事への謝罪なのか、判断に迷う。
 だが、どちらにしても、謝るべきは瑞希じゃない。

「別に、お前が謝る事じゃないだろ。俺の鍛え方が足りなかっただけだ」
 クスリと笑ってみせたが、とても上手くいったとは言えないものになってしまった。
「けど……」
 まだ何か言いたそうにする瑞希を、敢えて遮った。
「ちょうどいい。ちょっと外してくれるか? 俺もこのままじゃ辛いし」
 瑞希にはわからないだろうから、きっぱりと言った。
 知られたなら仕方ない。みっともないことこの上ないが、はっきり告げれば、たとえ自分の身体が途中までしか洗えてなくても、瑞希は出て行ってくれる。
 その確信があった。
 ところが―― 

「あの、出ないとだめ?」
 普段の瑞希なら有り得ない言葉が、その口から飛び出したりするから、いきなり不安になった。
「……お前、また『見たい!』とか言い出すんじゃないだろうな?」
 俺が隠そうとするものは、何故か異様に見たがるのを思い出し、恐る恐る訊いてみた。
 すると、頭を洗ってやると言った時以上に嬉しげに、瞳を輝かせた。
「え、いいの?」
 そう返されるとは思いもせず、自分の台詞をむきになって否定した。
 ブンブンと首を振ったのを見た瑞希が、あからさまにがっかりした様子で、「だよなぁ」と、頷く。
『わかってるなら言うなよ』
 と、声にならない文句を心中で言い放ち、言葉の代わりにじろっと睨み付けた。――つもりが、浴槽の中、勢いよく立ち上がった瑞希の身体に、もろに焦点が合った。
 慌てて顔を逸らしても、目に焼きついたそれは消えてくれない。
 見ないように意識しすぎて、完璧逆効果になっていた。
 
 瑞希のそれは、少年期から大人へと変わる前、ほんの僅かな期間(とき)の狭間に醸し出される、独特の穢れない清純さで――
 俺にも、確かにそんな時期もあったのに、他人の身体だと……いや、瑞希だから、か。とにかく、受ける印象が全然違う。

 見てはいけないものを見てしまった罪の意識に苛まれつつも、その清らかな肢体に惹かれずにいられない。

 顔を背けたまま、一刻も早く瑞希が出て行くのを待っていた俺は、その時、瑞希がどんな表情をしていたのか、まるで気が付かなかった。

 ドアが開き、ホッと息を吐いたのと、
「ごめん、北斗」
 振り向いて謝った瑞希の言葉とが、重なった。
「またか。もういいから」

『悪いのはお前じゃない、謝る必要なんかない』
 
 そう言ってやればよかったのに、瑞希の身体に目を奪われた自分が、少し…恐かった。

 プールの監視員兼、インストラクターなんかしていれば、女性の裸に近いような格好を目にする機会などいくらでもある。にも拘わらず、男の真の欲望など、これまで感じた事もない。
 胸をやたら強調させる水着を着て、俺を煽る大人の女性なんか端から受け付けない。
 Tバックの下着みたいなビキニで、自慢のボディー……なんだろう、を、見せびらかされても、何の感情も沸かない俺は、どこかおかしいんだろうか。 

 なのに、さっきの俺は、明らかに違っていた。

 目の前の、大人になりきれないと嘆く瑞希を、綺麗だと思ってしまう。
 だから、遠ざけようとした。
 そんな心中を察せられるはずもないのに、振り向いた瑞希の、切実で素直な言葉が、逃げかけていた俺の心を貫いた。

「――俺さ、ホントにそういうの全然わかんないから、……男なのに、男の身体って今一理解できなくて……」

 それを、男のお前が口にするのに、一体どれほどの勇気が必要なんだろう。

 声を詰まらせてまで言わなければならない事なのか?
 苦しいなら、何も言う必要ない。
 お前の気持ちはわかっているから、黙って出て行って構わないんだ。
 そう、思っていた。

「……好奇心、旺盛過ぎた」

 その言葉を聞くまでは。

「北斗のプライバシー、侵害する気なんか更々ないから、許して」 

 それだけ告げて、足早に浴室を出て行った。


 さっきまで手の届くところにいた俺達が、半透明の壁に遮られる。

 残された俺を包んだのは、瑞希がいなくなった事への安堵―――なわけなかった。

 壁を作ったのは、俺。
 締め出したのも。
 瑞希の本心も気付かずに、自分の身体の欲求だけ、当然のように優先させていた。


 ……馬鹿だ、俺は。
 瑞希は最後まで、俺を尊重してくれたのに。

『出ないとだめ?』

 あれは、間違いなく瑞希の本音だった。


 知りたいんだ、きっと。
 誰にも言えなくて、ようやく俺にだけ明かす事ができた、瑞希の重すぎる悩み。
 相談できるのも、それについて話せるのも、俺しかいない。

 なら、それを教えてやるのは、俺でありたい。


 瑞希のおかげで、初めての体験を沢山してきた。一度くらい瑞希に返しておかないと、割が合わない。

 ―――大丈夫…だよな。暴走、したりしないよな。

 ちらっと視線を下に移せば、あれこれ考えていたせいか、そこにはすっかりしおらしくなった自身が。

 ……なんだ。結局俺も、瑞希がいないと駄目みたいだ。


 そうと気付いて、一人密やかに笑みを洩らした。



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