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作品名:星を道標に ]U 転換点/ターニングポイント 作者:ナナセ

第10回 元凶 3

               〜 元凶 3 〜



「『イク時』って、どんな感じなのか知りたい!」

「――――」


 早口になったものの結構大きな声で伝えた、と思う。なのに、なんの反応も返さない相手に、そろそろと顔を上げた。 
「もしもし? 北斗? 聞こえた?」
 すると、返事の代わりにじろっと睨まれた。
「……お前、それを俺に言えと?」
 その声は、呆れたようにも聞こえる。ただし、拒絶のオーラはひしひしと伝わってくる。
 地を這うように低く響く声が…怖い。けど、俺だっていい加減な気持ちでこんな事を持ち掛けたわけじゃない。
「うん、ぜひ聞きたい」
 正直に答えた途端、がっくりと肩を落とされた。

 ……やっぱり、駄目か。
 額に当てられた手が、いつかの仕草を思い出させる。
 あれは、白井先輩に喰らった竹刀の打ち身を見せた時だった。
 何でここで同じ反応するのかさっぱりわからないけど、それはともかく相手は北斗だ、拒否される可能性もちょっとは考えていた。それでも、ようやく初めて訊けた相手にこうもあからさまに嫌がられると、淡い期待を抱いていた分、反動も大きいわけで。

「えと、俺も一応男だし、興味は前からあるよ。それにやっぱさっきの北斗、いつもと全然違って、何て言うか……すごく色っぽかった」
 語彙の少ない俺は、あの時の変化もそんな月並みな言葉でしか表現出来ない。
 にも拘らず、「止めろ」と心底嫌そうに遮られ、「何で?」と膝から前に身を乗り出した。
「それくらいの話は孝史達ともしてたよ、中学入りたての頃。だから俺もすごく楽しみにしてたんだ。『とにかく気持ちいい』って聞いてたから、どんな気分なのかずっと知りたかった」
「かもしれないけど……」
 言葉尻を濁し、ちらっと俺を見た北斗が、ハ〜と、嘆くように天井を仰いだ。
「――だからって、俺に聞くか?」
「だって、北斗だし」
「何だ、その強引なこじつけは」
 穏やかな双眸に不似合いな、鋭い眼差しで凄まれる。
 実はこれが案外効果があると、最近になって気付いた。

 北斗をよく知る人間は、本気では滅多に怒らないと承知しているから、表面上怒った振りをしてみせられても、本心じゃないと高を括っていられる。
 けど、そこを読み違えると手痛いしっぺ返しを喰らうんだ。
 必要以上に甘えて、こいつの許容範囲を超えて侵入しようものなら、即距離を置かれる。
 男にはそうでもないのに、女子には容赦ないんだ、これが。
 知っていてわざとやってるなら、北斗の言う、「誰とも付き合うつもりはない」って言葉通りの行動になるんだろうけど、頑なに貫くこいつも相当だと思う。
 唯一の例外は幼馴染の西沢さん、くらいかな?
 うん、彼女はいい。女子が苦手な俺でも、彼女とは立ち話くらい出来だした。
 ただし、隣にはいつも垂れ幕を手伝ってくれた美術部の二ノ宮さんがいるから、二人きりではない。
 だからどうしたいというわけではないけど、俺の中で二人の好感度はかなり高い。

「ったく、どいつもこいつも」
 腹立たしげな声が耳に届いて、我に返った。「なんだって答えられないような無理難題ばっか押し付けてくるんだ」
 ぶつぶつ言われ、さっきの俺以上に歯切れの悪い物言いに首を傾げた。
「うん? 何て?」
「――何でもない、こっちの話」
 ぷいっと顔を逸らされて、何て呟いたのか興味が沸いてくる。だけど、今はそこじゃない。
「ならいいや。たださ、北斗なら上手く教えてくれそうな気がしたんだ。だって俺の人生で『気持ちいい』って言ったら、こうやって布団にゴロゴロしてる時と、稽古の後、面を外して顔を洗う時? あと、久しぶりの湯船に浸かった時とか。あれも最高に気持ちいいけど、その程度のもんだよ」
 指を折って数えていて、ついこの間、また別の感動を味わったのを思い出した。
「そういえばこの前、県大会で表彰してもらった時は、気持ちいいっていうより興奮した。もしかしたらあの時の高揚感…っていうか、それに似てる?」
 北斗の顔を至近で見て、どうにか表情を読もうと努力する。なのに訊かれた当人が、なぜか能面のように固まった。
「あれ、全然違った?」
 強張った顔で見返され、益々身の置き場がなくなる。

 恥ずかしい。
 やっぱり……別の人間の感じ方を他人の経験に置き換えるのなんか、難しいよな。
 俺の人生でも、それほど気持ちいいと思う事なんてなかったし。

「ごめん北斗、やっぱ無――」
「謝るなっ」
 いきなり強い口調で遮られ、目を瞠った。
「え、…どしたんだ? 急に」
 俺、なんか変なこと言った? あ、十分言ってるか。でも、そんな怒るところ?
 状況が飲み込めず、言葉を失くしていた俺に、「悪い」と小さく謝った北斗が、
「――似て、なくはないかもしれない」
 ややこしい言い回しにもせよ、やっとまともな返事をくれた。「そうだな、リレーでゴールのテープを切る瞬間とか。それは経験、あるか?」
 さっきの激情はどこへやら、気遣うように尋ねられ、田舎の運動会を思い出した。
「うん、それならあるある」
 ようやく見つかった共通点が嬉しくて、何度も頷いた。
「確かに気持ちいいよな。えっと、スカッとする。気分爽快、みたいな。それに達成感というか高揚感も。そんな感じ?」
「ああ、まあ…似たようなもんか」
 どことなく上の空で答えた北斗が、ゆっくりと俺に視線を合わせた。
「高揚感で言うなら、さっきの風呂場より受賞式の方が遥かに上だった。瑞希にしても、そっちの方が価値があるし、最高の気分を味わえたはずだ。違うか」
 真顔で問われ、小さく首を振った。もちろん、肯定の意味で。
「なら…さ、俺が表彰されるの見て、『イク』時よりも興奮、した?」
 正面からじっと見詰めて聞いてみた。

 こんな質問、きっと困るだろう。
 そうと知ってて聞く俺も、意地の悪さが多少なりと移ってきたみたいだ。
 だけど、意外にも俺を見返した北斗の瞳は、真剣そのものだった。

「……した」
 冗談のつもりだったのに、その声音には本心が詰まっていたのか、耳にしただけで、俺も軽い興奮状態に陥りかけた。
「身体が内側から熱くなって、高揚感と、それ以上に感動の嵐だった。本当はそんなもの、比べる自体有り得ない。比較にもならないけどな。……自慰行為は――」
「……うん? 何?」
 言葉を切られ、先を促したら、北斗がすっと目を逸らした。
「文字通り、自分を慰める行為だ。そこに達成感なんか、元々ないんだよ」
 何だか汚い物を吐き捨てるように、嫌そうに呟いた。

 その表情が妙に苦しげで……。
 自分自身を嫌悪しているような、そんな感じ。
 何だか、また他の事を考えてそう。
 だけど、淋しそうな横顔を目にしたせいか、これ以上あれこれ聞く気は起きなかった。

「ふーん、そっか。そうなんだ。北斗が言うなら違わないよな」
「――俺の思考はひねくれてるんじゃなかったか?」
「ううん、そこはいい。信じる事にする」

 もう何年も溜め込んでいた、素朴な疑問。
 100%完璧に、とは行かないまでも、ほんの少しだけでもその時の感覚を覗くくらいはできた。
 俺には一生縁のないものだと諦めていた時期もあったのに、随分強くなった。
 そんな自分が今、少し誇らしい。

「ありがたい。これ以上教えようにも、上手く伝えられそうにないからな」
 そう答え苦笑を漏らした北斗につられ、一緒になって笑っていて、ふと思った。
「ならさ、来年、もし俺が全国大会で優勝できたら、俺はもちろんだけど、北斗にも、この前以上の気分、味合わせてやれるかな?」
 実現したらこんな嬉しい事はない。そう思い、期待に満ちて顔を覗き込んで―――思いもしない反応を見た。
 北斗の瞳が、揺らいだ?
「北斗? どうかし――」
 首を傾げ、聞きかけた言葉が途切れる。
 北斗が、いきなり俺を抱き絞めたからだ。
「ちょっ…北斗?」
「………」
「どうしたんだ?」
「……瑞希、……そんなに――」
 微かに呟かれた言葉が聞き取れない。
「うん? 何だって?」
 聞き返してじっと待つと、しばらくしておもむろに首を振った北斗が、俺の身体をぐっと離した。
「……何でも、ない。そんな事より、今はゆっくり休め。戦士にも休息は必要だ」
「言われなくても、っていうかその台詞、そっくりそのまま返すよ」
「俺は、お前みたいに自分から率先して茨の道を突き進んだりしない」
「何それ、どういう意味?」
「後先考えず行動する、『ガキ』って事」
 そう口にした北斗は、いつもの彼だった。
 その事にほっとして、俺もいつものように言い返す。
「フンだ、どうせ俺は奥手で成長途中の『ガキ』だよ」
「――それに、無垢な心を持った、強い男だ」
 そんな事、言われるなんて思いもしてなかったから、パチクリと目を瞬いた。同時に頬の筋肉が一気に緩みかける。
「煽てられても、土産なんか買ってきてないよ」
 照れ隠しにそんな暴言を吐いてみても、北斗はゆっくりと首を振るだけ。
「何も、…何もいらない。……瑞希がいる。それだけでいい」
 思いがけず真剣な声で言われ、目を瞠った。
「北斗――」
「だから、もう隠れるなよ。せっかく久しぶりに会ったんだ」
「……顔、赤くなってもからかわないか?」
「からかうわけないだろ。瑞希のその素直な反応、見てるだけで癒される」
 そう言って、柔らかな笑顔を覗かせた。「男ばっかり大所帯で共同生活なんて、長いことするもんじゃないな」
 などと、珍しく弱音みたいな事を言うから、少しだけ不安になる。
「え、何か…あった?」
「いや、瑞希が心配するような事はない。けど、さすがにちょっと疲れたかな」
 言いながら、上半身を布団に横たえる。その仕草が気だるそうで、病人だった事をようやく思い出した。
「うん、それはわかる」
 相槌を打って、上から覗き込むように北斗の短い髪にそっと指を伸ばした。
 見た目より意外と柔らかいって事は、知ってる。
 けど、起きてる北斗の髪に自分から触れたりとか今までした事なかったから、仰向けになった北斗が、驚いたように俺を見上げた。
 すぐに目を瞑り、寛いだようにふっと息を吐く。
 俺の事を笑ったくせに、北斗にとってもここが一番落ち着ける場所なんだって、リラックスしている様子から容易に察しがつく。

「瑞希に頭触られるの、初めてだな」
 ――『寝ている北斗の髪には、内緒で何回か触ったよ』
 心の中で答えて、
「そうかな」
 と、笑って見せた。「今日は特別。北斗、慣れないポジションですごく頑張ってたから」
 言いながら、北斗がいつも俺にするように頭を撫でてやった。
「それに、同一人物とは思えないくらいかっこよかった。本当は会って一番にそう言いたかったんだ」
「――ありがと。素直に喜んでおく」
 珍しく、されるがまま大人しくしている北斗は、やっぱり昨日の熱中症の影響なのか、疲労の色が濃く出ていた。
 
 閉じてしまった瞼の重そうな感じも、ちょっとだるそうな口調も、これまで戦ってきた試合後の様子のどれとも違っていて―――
 昨日の相手に、自分の全てを出し尽くし、精一杯戦い抜いたんだと、疲れ切った表情を目の当たりにして、ようやくその激闘の凄まじさを知った気がした。

「うん。裏も表もない、感じたままを言ってるだけだから」
「……そうだったな。それも…瑞希のいい所……だった」
 目を閉じたまま呟く北斗の返事が、睡魔に取り込まれそうに切れ切れになる。
「北斗? もう寝ちゃうのか?」
「――ん、……悪い。さっき呑んだ錠剤のせいかな。…身体が……言う事きかない」

 そういえば風呂上りに、キッチンで二人揃って薬を呑んだ。
 その効果が――いや、この場合、副作用と言うべきか――出てきたようだ。
 俺のにも、痛み止めには眠くなる成分が入っているとか書いてあったけど、傷の奥の方が熱を持ってる感じでズキズキしていて、まだまだ眠気とはほど遠いところにいた。

「いいよ。明日久住と駿に甲子園の話たっぷりしてもらうから。俺も当分剣道できそうにないし」
「……せっかく久しぶりに会ったってのに、……ほんと様にならないな」
「そんな事ない。何万人って観衆を虜にしてた奴と、こうやって同じベッドで眠るなんて、それこそ夢みたいだ。…俺、もしかして一番幸せ者かも」


 ――そうだ。
 北斗の隣にいるに相応しい人間は、他にいると思う。
 昨日の、あの活躍を見てから、ずっと心にわだかまっている。
 今は、いい。
 北斗自身、『自分は結婚はしない』と言い切っていた。
 けど、まだ思春期の真っ只中。
 大人になるにしたがって、その考えは恐らく変わっていくだろう。
 何年か先の未来、こいつの隣で微笑んでいるのは、一体どんな女性だろう。

 叶うなら、俺みたいに自分の道を突き進む自己中じゃなく、北斗の事を一番に考えて、幸せにしてくれる人がいい。
 間違っても喧嘩や言い合いになんかならない、穏やかな女性(ひと)が――北斗には似合ってる。


「お休み、北斗。いい夢、見れるといいな」
「……無理……」
「え?」
「…………」
 ポツリと零れた言葉は、俺の耳には聞き取れなかった。
「北斗? 何て言った?」

 少しの間待ってみても、かすかに呟いたその言葉を最後に、後は安らかな寝息が規則正しく洩れるだけだった。




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