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作品名:星を道標に  \ オーバーカム 作者:ナナセ

第9回 試練のスタジアム W 後編

               〜 試練のスタジアム W 後編 〜




 ベンチに座り、試合の行方ではなく、過去への想いに耽っていた俺の目の前に、見覚えのある紺色のタオルが差し出された。

「ほーくっとちゃん♪ はい、これ」
 呼ばれた瞬間、両腕にぞわっと鳥肌が立った。

 この試合中は、もう口をききたくなかった声の主を憮然と見上げると、目の前に立った関が相変わらず嫌な笑みを浮かべ、図々しくも隣に腰を下ろしてきた。

 顔を見たら文句の一つも言ってやるつもりだったのに、間が空いたせいかそんな気は失せてしまっていた。
 前の回、先に和久井監督に平身低頭で謝られ、気勢を削がれたのも理由の一つではある。
 が、それを承知でのこのこ近付いてきた関の態度に、消えかけた怒りの炎が再燃しそうになった。

「やけにサービスいいな」
 礼を言う気など更々ない。タオルを掴み頬を伝う汗を拭いて、理不尽な要求を押し付けた張本人をじろっと睨み付けた。
「けどお前がそばに来ると、ろくな事ないんだが」
 俺のお粗末なピッチングを揶揄するつもりなのは火を見るよりも明らかで、無駄な努力と知りつつ一応牽制しておく。
 すると、「まあまあ」と笑って誤魔化した関が、予想に反し耳元で声をひそめた。
「それより北斗、この前誕生日だったろ」
 出し抜けに何を言い出すのかと思えば、性懲りもなくまた下らない事だった。
「それがどうした」
 口調に険がこもるのは、誓って俺のせいじゃない。なのにそれさえこいつには全く堪えてないらしい。
「そのタオルさあ、初めて見るけど、彼女のプレゼントなのか?」
 険悪なムードをきれいに無視した関は、自分の好奇心を満たす事にのみ専念している。

「――いや」
 思いもしない事を訊かれ一瞬返事に詰まったものの、出来るだけ平静を装い簡潔に答えた。
 だが、探る様な眼差しを向けられ居心地が悪くなる。
 密かに狼狽する俺を尻目に、質問を投げかけた当人が、あからさまにガックリと肩を落とした。                              
「だよなぁ。あ〜あ、春はまだ来そうにないか」
「ほっとけ!」
 深々とため息を吐かれ、反発する声がつい大きくなる。
「北斗、声でかい」
 すぐさまたしなめられ、殴りつけたい衝動を懸命に堪えた。
「お前、喧嘩売りにきたのか? これを『彼女』に結びつけたがる、その思考回路が俺には理解できない」

 しかも大事な試合の終盤だというのに、話題にするような事か? まして人の恋愛に、なぜ他人のお前がそれほどがっかりする?


 ――友人の間で、俺の恋愛成就が賭けの対象にされ、山崎が音頭をとって、野球部のほぼ全員が高校の間に彼女ができる方に、
   学食での昼飯一週間分を賭けている――


 という事実など知るよしもなく、解せない気分で関を見返した。

「んなわけないだろ。そのタオル見たら、誰だって彼女ができたのかと思うぜ」 
 言外に『とぼけるな』というニュアンスを込め、恨めしそうな目で俺を見る。
『彼女』を連呼する関に慌て、思わず周囲に目を遣った。

 山崎あたりが聞いていたら、いもしない彼女を作り上げるくらいしそうだ。だがありがたい事に、今はみんな目の前のフェンスに鈴なりになって、松谷を応援している。
 がらがらのベンチに並んで座り、こんな事を話題にしている俺達の方が、はっきり言って変だろう。

「何の根拠があってそうなるのか、益々意味不明だ。こんなのどこにでも売ってるだろ」
「タオル自体はな――って、お前もしかして気付いてねえの?」
 不思議そうに顔を覗き込まれ、思わず見つめ返してしまった。
「は? 何を?」
 実は、ものすごいプレミアものだったりするんだろうか? そんなの全然知らないし、興味もない。
 それにこれをくれた瑞希は、俺に輪を掛けた疎さだ。そんな値打ち物を、少ないバイト料でわざわざ選ぶとも思えない。
 首を傾げるばかりの俺に焦れたのか、関がタオルを引っ張って、何かを探すように端を広げ目を凝らした。

「あ、あった。これこれ、これって明らかに手作りっぽくね?」
「え、―――」

 訊きながら指差された先を見ると、タオル地と同じブルー系のグラデーションの糸で、『北斗』と、俺の名前の刺繍が入っていた。 相当に上手い。というか流暢な文字だ。
 そのあまりにも見覚えのある字体に、文字通り目が釘付けになった。
 裏返すと、毛足の長い表側には、真っ白な野球のボールが貼り付けられている。その部分だけ繊維の毛先が短くカットされているのか、埋もれるようになっていて、一見、このタオルのレッテルのようにも見える。だから、全然気付かなかった。

「これ…って、いつから?」
 かなり動揺していたらしい。タオルに目を落としたまま呟くと、隣から呆れ声が返ってきた。
「持ち主が知らねえのに俺にわかるか! ってか、最初から入ってたに決まってんだろォ」
 すっかり脱力しきった関に、咎めるように言われても反論のしようがない。

「初めから……」
「絶対彼女だと思ったのにな〜」

 呆然と呟いた俺の横で、関が自分の読み違いを悔しげに嘆く。
「その様子から察するに、恋愛の線は完全に消えたな。なら母親ってとこか」
「チェッ」と、さも残念そうに舌打ちされたら、何だか悪い事をしたような気になる。
 冗談じゃない! と思い直し、そ知らぬ風を装って思わせぶりに訊ねた。

「どうして、そう思う?」
「へ、そりゃ彼女なら黙ってるなんて普通有り得ねえだろ。本人に見せて自慢…ってか、アピールしないと意味ねえし」
「そんなもんか」

 答えつつ、七回の守備を終えた後、グラブを関に押しつけるんじゃなかったと、後悔していた。
 俺の荷物の所に置きに行って、そのタオルの刺繍に目が留まったんだ。
 目敏い関にこんな事でからかわれるくらいなら、投球の文句を言われた方がましだ。
 そんな心情を逆撫でするかのごとく、関の口から寒気のしそうな台詞が飛び出した。

「当然。『先輩に使って欲しくて頑張ったんですゥ〜』、とか言ってさ」
 しなを作ってからかう奴の頭を、今度は即 横殴りにはたいた。
「気持ち悪いマネするな」
 それに、どうして後輩からだと決め付けるんだ。
「ってぇ、今本気で殴ったろ!」
 叩かれた頭をさすりながら文句を言う奴を、じろっと睨み付けた。
「喧嘩を売ったのはそっちだ。俺は買ってやっただけ」
「冗談の通じない奴」
「ごちゃごちゃうるさい。こっちはそれどころじゃないんだ」
 試合に出られない関を気遣うのは、とっくに止めた。
「人の気持ちのわからない奴は嫌われるぜ。だからこれにも気付かなかったんだろ。可哀相に」
 タオルの文字を見せ付けて頬に摺り寄せる。それを強引に引き剥がし、奪い返した。

「……これは、お袋からじゃなかったのか?」
 声が自然と低くなっている。そんな俺の態度に驚いたらしく、関が唸り声を上げた。

「―――北斗って、ほんと読ませないのな」
「そう容易く読まれてたまるか」
「あっそ。けどなぁ、マジで女らしさ強調する絶好の機会に、黙ってる手はないしなあ」
 わかんねえ、と首を捻る関のぼやきを訊きながら、密かに呟いていた。
「女らしさ――」
 反芻してみて、口元に淡い笑みが浮かぶ。そんなモノ、期待する必要なんかない。

 その微笑をどう受け取ったのか、関が咳払いを一つして、やっと彼女の存在から離れた。
「ま、母親なら無償の愛ってヤツだな。けどそれってブランド物じゃないけど、いいよな。デザインもだけど手触りがすっげよかった。ってことでさ、彼女からじゃないなら、今度どこで買ったか訊いといて」
「何で?」
「俺も同じの欲しいから」
 関の、らしくない見当違いの気遣いに、心の中で苦笑する。
「お前とお揃いなんかごめんだ」
「色は変える」

 そのバリエーションがなかったらどうするつもりだ? と思いながらも、しつこく食い下がる関に、半ば唖然とした。
 たかがタオルにそんなに執着しなくてもいいだろうに、よほどこの手触りが気に入ったらしい。
 だが、この色しかなかったら絶対秘密だ。

「――気が向いたらな」

 冷ややかに答えつつ、俺にはもうこれがどこのものかわかっていた。

 瑞希のバイト先のギフトショップ。恐らく、義父さんが手配してくれたものだ。
 贈答品用はフェイスタオルがメインで、手触りとか素材よりもブランド重視だ。それに用途の限定されたスポーツタオルは、注文がない限りほとんど扱ってない。
 だから、スポーツタオルを思いついた瑞希が、義父さんによさそうなメーカーの品を尋ねたんだ。
 一人で買い物に行く暇なんてなかっただろうし、西城の周辺の店にも一向に興味を持つ素振りもないあいつが、自分で選んだとは考え難い。

 それなのに、唯一オリジナルの俺の名前の刺繍から、目が離せなくなっていた。

 そこに込められた想いの深さが、じんわりと心に染み入って―――不覚にも視界がぼやけ、焦ってタオルに顔を埋めた。


 ……バカ瑞希。

 毎日ぎりぎりの生活してるのに、いつの間にこんな事してたんだ? 
 俺、全然気付けなかった。それで誕生日に間に合わなくて、一日遅れになったのか?
 いや、きっと誕生日には間に合っていた。それを俺に渡すのが恥ずかしくなったんだ。
 関と話した今なら、瑞希の心情が手に取るようにわかる。
 加納達の事がなかったら、このタオルは永久に俺の元に届かなかったに違いない。
 あの夕暮れと、ずぶぬれになったのがよかったんだ。
 俺の惨状を目の当たりにし、タオルの存在を思い出して、薄闇に紛れ取り出してくれた。

 二ヵ月前、校舎に新たに下がった垂れ幕を見た時の、剣道男子団体戦に出た選手達の喜びが、どれほど大きなものだったか、似たような事をされ初めて思い知る。
 剣道部の三年が西城高校の決定を無視し、広島まで応援に行ったのも当然だった。


 ありがとう、瑞希。
 こんな事されたら勘違いしそうだ。
 ありえないのに夢を見てしまう。


 ―――『母親なら無償の愛ってヤツ』。


 なら、赤の他人だったら?



 幸せな夢は、醒めれば一層辛い。
 けど、今……この時だけは、瑞希の俺への想いに酔っていたい。




「すっげ、松谷先輩 絶好調!!」
「ああ、粘った甲斐あったな」

 その声に、我に返って立ち上がり、グラウンドに目を遣った。
 頭上で打楽器が賑やかに叩かれ、この回俺まで打順が回る可能性が見えてくる。

「北斗、もう一本ヒット頼む」
 期待に満ちた目で山崎にヘルメットを出され、黙って受け取り階段を上がった。

 すっかり陰ってしまったグラウンドに出て、周りを取り巻くスタンドをぐるっと見渡すと、日の当たっている席もいくらかはある。

 上空は明るく、照明灯の点く前の微妙な時間帯。にもかかわらず、観客数は試合開始の時と同じ、ほとんど埋め尽くされたままだ。

 その五万人近い観客の中に、唯一、心から望む奴だけがいない。

 今日何度目になるのか、やるせない溜息を吐き、意識を目の前の試合に戻した。
 
          
                             
 バッターボックスでは、二番打者の渡辺が松谷を二塁に送るべく、初めからバントの構えをとっている。
 前進守備で警戒する内野手の中、果敢に門倉さんの球に挑んでいったが、松谷でさえ重いと感じた門倉さんの全力投球のボールを、上手く殺す事ができず、転がせずに打ち上げてしまった。
 門倉さんが右手を挙げ、悠然とグラブを構えキャッチして1アウト。

 貫禄が違う。『抜群の安定感』とは、こういう人の事を言うんだと、加納に教えてやりたい。エラーを期待するのさえ馬鹿馬鹿しくなってくる。
 ダブルプレーにならなかっただけましだが、八回というイニングでも、満足にバントさせないこの人の球威に、終始押され気味の西城は、点差以上に苦戦を強いられていた。

 下手な駆け引きや小技は通用しないと、回を重ねるごと、その思いは強くなる。
 ただし、俊足の松谷がスコアリングポジションに行けば、たとえわずかでも望みが繋がる。

 山崎の頼み通り、俺にもう一度ヒットが出れば、恐らく松谷はホームまで走るだろう。
 三度目となる対門倉さんへの、結城キャプテンの意地に賭けるしかない。
 キャプテンなら打ってくれる。たとえ相手が門倉さんでも三打席ノーヒットなど考えられない。

 打つ気を漲らせて打席に立つキャプテンを、祈りにも似た気持ちで見守る。
 その初球、ヒッティングに見せかけたバットが、ベースの上にすっと出された。
 コンッと、上手く当てられた球が、完全に勢いを消され、目の前に転がる。
 いいバントだ! けど、まさかこの場面でキャプテン自らバントするなんて思いもしなかった。

 多少は警戒していたバッテリーも、絶妙のタイミングに捕球が1テンポ遅れる。
 一塁に走るキャプテンはアウトになったものの、さっきの渡辺のバント失敗を懸念し、走るタイミングを僅かに自重した松谷は、余裕で二塁に進塁した。

 立ち上がり、ネクストサークルを出てバッターボックスに向かう俺の傍を、バントを決めた結城キャプテンが通り過ぎる、その間際、意味深な視線を寄越された。
 キャプテンもまた、さっきファーストバッターで出た俺のヒットを、この場面でも期待しているらしい。が、それをプレッシャーには感じない。
 バッティングとピッチングでは、自信の度合いが全然違う。

 いつもの打席と同じ、バットを回して手首をほぐし、バッティングに集中していく。
 ピッチャーをしている今、打つ事に意識を切り替えるのは難しい。だが、結城キャプテンは俺を信頼して、ヒッティングではなくバントした。
 今日のメンバーの中で、誰よりも門倉さんの球を打ちたいと願っていたはずなのに。
 まだ試合を捨てたわけじゃない。俺にはボロ負けでもかまわないとか言いながら、誰よりも勝利に拘っているのはこの人だった。


 門倉さんのピッチングを考慮すれば、八回のこの打席が最後の対決になる。
 すでに2アウト、前回いくらヒットされているとはいえ、俺達格下相手に敬遠策は取らない。
 投球タイプは違っても、門倉さんもどちらかというと理性より感情型の人だという事は、四回から見続けていれば自然と気付く。

 門倉さんが、気迫を込めた眼差しで俺を見据える。
 負けずに見返して、グリップを握る指に力を込めた。

 その初球。読み通り全力投球のストレートが、胸元ぎりぎりストライクコースを外れてミットに収まった。
 ピクリとも動かず、球筋と球威を目に焼き付ける。
 ボールから入るとは思わなかったが、次は間違いなくストライクを取りに来る。

 予測した二球目。
 打つ気に満ちた俺の裏をかくチェンジアップで、スローカーブが大きく曲がり、ストライクゾーンぎりぎりに落ちた。

 この組み立てには覚えがある。
 そう感じ、ようやく八回表の俺の投球を真似ていると気付いた。
 今のは、前回の俺のピッチングへの当て付けだ、間違いない。本物のチェンジアップを見せつけたんだ!

 ……なんて嫌味な人だ。
 だが、残念ながら俺はそんな見え透いた事をする、癖のある人間が結構好きだ。
 だから俺も、門倉さんを真似てタイムを取る。

 ボックスを出て、この対決を楽しめそうな自分に苦笑した。

 この状況で、俺の心理的な動揺に一層揺さ振りをかけてくる辺り、やはり並みの投手でもバッテリーでもない。
 そんなところも加納達とは対照的かもしれない。

 あいつらはもっと公明正大でわかり易い。梛にしても口は悪いが、やる事は正々堂々、真正面からねじ伏せようとする。
 代表が和泉高校だったら、おそらく息詰まる投手戦になったに違いない。
 少なくとももっと緊迫していたはず。間違っても甲子園に笑い声は起こらなかった。
 それを考えると、遥か遠くバックボードに並んだ点数すら、冗談のように思える。
 六対九の、この点数。
 誰がこれほどのハイスコアになると予想しただろう。

 だが、まだ終わったわけじゃない。
 このまま終わってたまるか!


 門倉さんの茶目っ気が、滅多におきない俺の闘争心に火を点けた。
 好投を続ける彼に触発され、自分のボルテージも自然に上がり、今まで以上に集中力が増す。

 何より、満足な応援もなく、たった一人で戦い抜いてきた瑞希に応えたい。


 仕切り直した三球目。
 間違いなく門倉さんの決め球、スライダーだ。
 その球を、叩く!

 案の定、超高校級の左腕から投げられた球が、食い込むように胸元に入ってきた。

 ここだっ! 

 球筋を読み切り左足を踏み込むと、スパイクの金具が地面に突き刺さる。

 インパクトの瞬間、グリップから手の平に伝わった痺れるような手応えに、渾身の力でバットを振り切った。

 松谷が「重い」と言った門倉さんの球。だが、真芯に捉えさえすれば―――


 行け、瑞希の元へ!

 この一打は、お前のものだ。





 うだる様な夏空から一転、爽やかに澄み切った、郷愁さえ感じる甲子園の上空へ―――


 日の翳ったグラウンドから高く打ち上げられたボールが、太陽の残照に当たり、純白に光りながら弧を描いて飛んで行く。


 その行方を確認し、バットを手放した。
 





 割れるような拍手と力強い演奏を背に、ダイヤモンドを一周する。




 この歓声を、俺は一生忘れない。


 初めての甲子園で打ったホームラン。

 それは、野球を通じて得た仲間と、同じくそれを楽しむ強敵。

 そして、かけがえのない人への、心からの感謝だった。




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