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作品名:星を道標に  \ オーバーカム 作者:ナナセ

第6回 試練のスタジアム V 前編
  

               〜 試練のスタジアム V 前編 〜



 一時は騒然としていた観客席が、駿がマウンドに戻って来た事で、落ち着きを取り戻す。
 
 仕切り直した六回表。
 2アウト、ランナー一、二塁。点差は三点、一応西城のリードだが……。

 この回のファーストバッター、二塁打を放った室生さんをそのまま足止めできたのは、ラッキーと言うしかない。
 セットポジションで投球モーションに入った駿を見て、室生さん、一塁走者が共にリードを広げる。さっきのハプニングでの駿の状態を、見極めようとしているのかもしれない。
 松谷もそう読んだのか、二塁ベースからさほど距離を置かず牽制もあると見せかける。助演男優賞でもやりたくなるくらい、抜群の演技力だ。
 その松谷も驚くほどの早さで、駿が二塁に本当に牽制球を放った!!
 無茶する! けど、それだけで、駿のこの試合に掛ける意気込みが伝わってきた。
 慌てた松谷が僅かに逸れたボールを巧みに捕球し、グラブを相手の足元に形だけ大げさに当てる。
 塁審はもちろんセーフのジェスチャーをするが、そんなのは承知の上だ。
 俺達の課題は、相手ランナーに駿の負った怪我の程度を見抜かれない事で、その牽制は十分に功を奏した。

 緩やかな軌道を描いて松谷から駿にボールが返球される。
 左腕を上げず、下からグラブでキャッチした駿が、ランナーの動きを眼だけで封じる。この回だけでも牽制の仕方が飛躍的に上手くなった。
 自分の元に戻ってきたボールを右手に移し、外野に向けて高く掲げた。

 右手に掴んだ白球。
 それは、言葉を掛けない駿の、俺達への明確な意思表示だった。

 思い思いに応える野手に向かい頷いた駿が、走者のリードが僅かに狭(せば)まったのを確認し、今度こそバッターに集中する。

 背番号18。
 近い内、間違いなくその背に1番のエースナンバーを背負う。
 なんとも頼もしい気持ちで、そんな駿の一挙手一投足を見守っていた。

 門倉さんを打ち取った後の下位打線、とはいえ、相手校のバッターには下位も上位もそれほど差はない。いつでも、誰にでも長打は有り得る。
 投げる球の一球一球に魂を込める駿だが、それでも左肩を思うように動かせない投球は、明らかに威力を欠いていた。
 2―3のカウントまで追い込まれてから粘りを見せる八番バッターに、とうとう駿が4ボールを与えてしまった。
 この打者にだけでも、優に八球は投げていた。
 
 2アウト満塁に変わり、九番、ラストバッターがボックスの外で、気合の入った素振りを繰り返す。
 たとえどれほどピンチに陥ろうと、この回、点が入るまで駿の交代はない。そう監督に約束させたのは、他でもない自分自身だ。
(俺の所に来い!) 
 マスクを被る山崎には伝わらないかもしれない。それでも自らに言い聞かせるように、心の中で願い続けた。



『駿のバックを守りたい』

 瑞希と孝史に、偽りのない気持ちを打ち明けてから半年が過ぎた。

 初めて駿に会ったのは、彼の家の、途方もなくでかい玄関だった。
 四枚戸の引き戸なんてものを初めて見て……それ以前に、雪で覆われていたとはいえ大屋根の棟の両端に鬼瓦(だったか?)が見えて、圧倒されたのを覚えている。
 完璧な日本家屋などテレビでしか見たことがなく、興味深く眺めていたら、瑞希が心細そうに俺を呼び、微かに震える指先をその戸にかけた。
 あれが駿との初対面だったわけだが、瑞希があまりにも緊張していたので、実はそれの方が気になっていた。
 呼び掛けても返事がない事にほっとして、逡巡する瑞希を横目に、誰もいないならこのまま帰った方がいいんじゃないかとさえ考えていた。
 その期待を裏切るように二階で人の気配がした時は、さっさと出て行けばよかったと少なからず後悔したものだ。
 だが、来客にも関わらず、横板だけの階段を慌てる素振りも見せず下りてきた人物を目の当たりにして、正直、この家の外観以上に驚いた。
 見た目はともかく、想像とあまりにもかけ離れた雰囲気に、一瞬呆然となった。
『駿――』
 と、瑞希が呼び掛けなければ、本当に彼が『相原 駿』という人間だとは、信じられなかったに違いない。
 何と表現すればいいのか、精気がない…というか、出家して仏門に入った僧侶? に近い感じがした。
 冷めた瞳は、夢も希望も持たず、自分の未来をも諦めていた。

 そうなってしまった経緯は瑞希に聞き、ある程度理解していたつもりだったが、瑞希より俺に語りかけてきた態度や、言葉の端々にも、彼の内面が明(さや)かに反映されていた。
 周りの者に気を遣い、全てにおいて控えめで、存分に自分の力を出せていない……いや、わざと隠しているような。
 それを、無性に確かめてみたくなった。だから、瑞希をわざと雪の中に突き飛ばし、生贄に仕立てた。
 こいつは、瑞希の為なら必ず動くと直感した。
 言い換えれば自分がどれほど窮地に陥っても、決して本気で向かっては来ないという事だが、こちらの思惑通り、戸惑いつつも指を絡めたその一瞬で、彼の中の何かが変わった。 
 そう容易く倒せる相手ではないと無意識に感じ取ったのか、まったくやる気のなかった態度が一変、全ての力をぶつけてきた。
 見え透いた挑発にもせよ一応乗ってきた辺り、内気でも弱気でもない。ただ、自分の持つ力を持て余していると知り、益々興味を持った。
 あの大雪の中、つっかけなどという不利な条件で、本気で勝てると思っていたのか。
 雪の中に倒されても、差し出した俺の手を取ろうとしなかった頑なさが、俺の心の中にある一点に触れた。
 瑞希や高橋先生が、駿を気に掛けるのとは違う次元で、俺も彼に惹かれずにいられなかった。

『来い! 駿』

 西城に……俺の所に来て欲しいと、強く望んだ。
 こんなにも一人の人間に囚われること自体、珍しかった。
 隣で瑞希が驚いたように目を見開いていたが、あの時の俺は間違いなく、瑞希より駿の心を動かせるかどうかの方が重要だった。

『みんなお前を待ってた。西城の野球部に入れ。後は俺達がお前を引き上げてやる。だから、駿は必ず合格しろ。
 ――それとも、自分に自信がないか? 俺達の期待に応える気があるなら、…手を取れ、駿』

 雪に埋もれたまま動こうとしない駿に、そう呼び掛けた俺は、とにかく必死だった。
 瑞希に見られたくなかったのか、悔し涙を隠す為 顔を覆っていた腕がようやく外された刹那、祈りにも似た気持ちで、その瞳を真っ直ぐ見据えた。

 口では偉そうな事を言ったが、本当は懇願していた。

 ―――頼む、俺の手を掴んでくれ。大丈夫、お前を傷付ける奴はいない。俺達には、他の誰よりお前が必要なんだ―――

 言葉にはしたくなかった、心からの願い。その想いに、駿は気付いてくれた。

 伸ばされた手をしっかり繋ぎ、雪の中から助け起こすと、何よりも得がたいものを手に入れた気がして、たまらなく嬉しくて……駿の身体を強く抱きしめていた。


 
 西城高校の野球部員として一緒に練習を始めてから四ヶ月に満たないが、俺の駿に対する執着は間違っていなかった。
 少しずつでも俺達に打ち解けてくる駿が、可愛くてたまらない。俺だけじゃない、ほとんどの部員がそう思っている。

 そんな奴が、バックを信じて必死に投げている。ここであいつを助けなくて、いつ助けるって言うんだ。

 駿の足が上がる。
 一斉に走り出したランナー。
 その初球、投げられたボールが、相手のバットの真芯に捉えられ、レフトとセンターの中間辺りに飛んでいく大飛球になった。
 入る!? まさか!
 振り向き、中継に入る為 駆け出した俺の目の前で、久住がフェンスにぶつかりながらも、しっかり捕球したのが見えた。
 何で久住が!?
 その驚きの疑問は、すぐに消えた。
 ついさっき集まっていたマウンドで、解散間際「レフト方向へ打たせる」と言った、山崎の言葉を思い出したからだ。
 最初からレフト側へ意識を集中していたんだ。守備位置もレフト寄りにとっていたかもしれない。
 それともう一つの要因は風。この回のファーストバッター、室生さんに利用された浜風が、今度は西城に味方した。

 それにしても、ビッグプレーだ。
 駿の為に一生懸命になれるのは、俺だけじゃなかった。今のは落球してもエラーにはならない、完璧同点に追いつかれていた打球だ。
 それがわかっているんだろう、ファインプレーを見せた久住が珍しく喜びを身体全体で表して、遥か遠く、フェンス際からレフトのダッグアウトへ駆け戻ってくる。
 対照的に三者残塁、絶好のチャンスで無得点に終わった明峰のランナーが、互いに声を掛け合い、一塁側に引き上げていった。



 ミスを取り返すチャンスもなく……まあそれはそれでいい。満塁の危機を無失点に抑える事ができたんだ、こんな幸運な事はない。
 ほっと肩の力を抜き、出番のなかったグラブを外して顔を上げると、先にベンチに戻ったはずの駿が、中に入らず手前で立ち止まっていた。

「どうした? 駿、早く病院……」
 言い終わらない内、その視線の先にいる人物に気付いた。
「―――敦(あつし)」
 間近まで駆けてきた久住の足が止まり、瞳が大きく見開かれる。
 今日の駿には驚かされてばかりだ。彼が自分から誰かを名前で呼ぶのを、初めて聞いた。
「ありがとう、敦」
 素直な感謝の言葉。
「山崎先輩と、駿のコントロールのおかげだ」
 照れ臭そうな笑みを浮かべた久住が、駿の帽子の庇をぐっと下ろした。

 ――よかった、駿。
 お前もここで、瑞希以外に大切な奴を、見つける事ができたんだ。

 いつものように話す二人の傍を離れ、先にダッグアウトに入る。
 目の端に、駿の身体を労わるように、そっと抱き寄せた久住の姿を捉え、安堵と、途中降板する駿の悔しさを想い、小さく息を吐いた。
 駿に付き添い、ベンチに戻ってきた時の事を思い出して、監督に強く願い出たその真意にようやく思い至っていた。

 どんな事があっても、最後まで投げたかったに違いない。
 この大舞台を経験したら、田舎の同級生の事を忘れてしまえるか、許せるような気がしたんだ。それとも、小さな事だと笑い飛ばすつもりだったのかもしれない。
 そんな、願かけにも似た想いでいたんじゃないだろうか。

 二人のいたグラウンドに目を遣ると、一番バッターになっている久住がバットを手に、後ろ髪を引かれるような面持ちで、ベンチに入る駿の後姿を見つめている。
 視線を感じたのか、振り向いた駿が打席に行けずにいる久住に、「後を頼む」と言う代わりに小さく手を上げ、残りの階段を駆け下りてきた。

「監督、無理言ってすみませんでした」
 真っ直ぐ指揮官の元に向かい、駿が頭を下げると、わざと胸の辺りを押さえた和久井監督が、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「ええ、ドキドキし通しでした。ですが、よく抑えてくれました」
「――久住のおかげです」
「そうですね。みんないいプレー、見せてくれてます」
 バッターボックスに向かう久住の後姿に目を遣った監督が、駿に視線を戻した。「早く診てもらって、ここに帰って来て下さい。みんな待ってますから」
「はい」
 小さく頷いた駿に、あれからずっと待機していたのか、医師が上着を脱ぐよう急かす。
 再びあらわになった上半身の、左肩にはもう一度冷却スプレーで応急処置と、右肩には投球後のケアが施された。
 手早く処置を終え、ユニフォームを簡単に羽織った駿が、慌しく連れ出そうとする医師に「待って下さい」と、制止をかけた。

 医師を待たせるなんて一体何事かと思っていると、ベンチに腰掛けた俺の前で、なぜか立ち止まった。
「先輩、ありがとうございました」
 上から見下ろし、深く頭を下げる。そんな駿を唖然と見上げ、首を傾げた。
「? またか? 今度こそ俺、何もしてないぞ」
 お前を、守備で助けてやりたかったけど。 
「いいえ、してくれました。しかも、誰にも真似できない事を、二回も」
「は? 何の事やら――」
「俺、成先輩と一緒に野球できて、こんな嬉しい事……なかった」
 言葉尻が震え、堪えていたらしい涙が、静かに頬を伝い落ちた。
「な……に」
 驚いて立ち上がり、掛けるべき言葉を必死に探した。「…言ってるんだ! まだこれからだぞ。もう終わったみたいな言い方するな、縁起でもない」
 何を言ってるんだか、自分でもわからない。だが、これが最後のプレーになるかのような駿の口調に、正直 気が動転していた。
 それに気付いたんだろう。涙の伝ったその口元に、今度は安堵にも似た、柔らかな笑みが浮かんだ。
「そ…ですね。じゃあ、早く帰ってきます」
「ああ、そうしてくれ。お前に何かあったら俺、瑞希に顔向けできなくなる」
 久々に口にした、駿の心の拠り所である大切な先輩。
 その名前を聞いたからか、駿の瞳にも明るい色が浮かび、手にしていたタオルで涙の後を拭った。

 ……半年前と同じだ。
 瑞希にだけは、自分の涙も、泣いた事実さえ隠しておきたいらしい。

 その当人が駿より酷い、しかも一生消えないような傷を負った事など知るよしもなく、慌しく試合場を後にする駿の後姿を見送りながら、あいつへの謝罪の言葉を懸命に考えていた。



 六回裏、駿のいなくなったベンチは、風前の灯のごとく意気消沈していた。
 山崎や渡辺も打席に立つ久住に必死に声を掛けるが、空(から)元気なのが手に取るようだ。

 だからこそ奮起したのか、前の回には手も足も出なかった門倉さんを相手に、西城の打線は案外粘りを見せた。
 県大会での加納との対戦がいい経験になったのか、150q/h近いストレートにも臆する事なく反応していた。
 ただ、それを組み入れた配球にタイミングを狂わされ、五回は狙いが絞りきれずにいた。

 2ストライク2ボールに追い込まれても、焦らずじっと機会を狙っていた久住のスイングが、門倉さんのスライダーをかろうじて捉え、バットに当てた。
 フェアグラウンドには飛ばなかったが、それでも空振りするより数倍ましだ。
 一球でも多く投げさせる事ができたら、後半活路が見出せるかもしれない。久住もそう信じているんだろう、一球たりとおろそかにしない。
 カウントはそのまま、六球目を待つ。
 門倉さんの足が上がり、手からボールが離れる。と同時に、久住のバットが出かけた。
 カーブだ! 
 ぎりぎりまで持ちこたえ、バットの先に当てて力任せに振り抜く。
 ふらふらと、久住にしては珍しく中途半端に上がった打球だが、セカンドの頭を超え、ライトの斜め前にポトンと落ちた。
 久住の体勢も崩され、スタートが遅れる。
 ライトの選手が拾ってすぐにファーストへ。
「突っ込め、久住ーッ!」
 気休めの空元気が心からの声援に代わるのに、時間は掛からなかった。
 その力強い声に背中を押されるかのように、ベースに頭から突っ込んだ久住の頭上で、一塁手がボールをしっかりキャッチする。
 皆の目が一塁塁審に釘付けになり、セーフのジェスチャーが大きく繰り返されたのを確認して、歓声が上がった。

 結城主将から始まり、六人目にしてようやく、門倉さんからもぎ取った初ヒットは、久住の当たり損ないのテキサス―ヒットだった。


 久住に続け、と言いたいところだが、九番、駿に代わりラストバッターで再び打席に立った田島は、すでにバントの構えを見せている。
 代打を告げられた時点で、レフトスタンドが予想通りざわめき立った。
 ピッチャーの交代が告げられれば、それはもっと大きくなる。だが、田島はもうベンチの中でうろたえていた彼じゃない。あいつはそういう奴だ。
 一打席目と全く同じ、投手が変わろうが、門倉さんの得意な変化球をしっかり見極め、上手く転がして、久住を二塁に進めた。

 冒険をしない堅実な人柄。その代わりするべき事は必ずやり遂げてくれる、頼もしい奴だと俺は思っている。そう信じていなければ、みんなの前で叱責はできない。

 1アウトで一番の松谷に打順が回る。
 セカンドの久住がランナーとして門倉さんにプレッシャーを掛けるが、反対に、少しでも飛び出せば刺すぞ、と言わんばかりの無言の牽制を前に、圧され気味に見える。
 一年と三年ではやはり貫禄が違うのか、まだまだ及ばないのは現時点では仕方ない事だ。だがあと二年…いや、久住なら一年もあれば、立場は入れ替わるだろう。

 ファーストが空いた状態で打席に立つ松谷だが、まだアウトは一つ。併殺の可能性は極めて少ない。
 だが相手の失策―4ボールやデッドボール―で、労せず一塁に行く事も、恐らくない。そう断言できるくらい、門倉さんのピッチングは安定している。
 初球、ど真ん中のストレートが決まり、門倉さんも150q/hを叩き出した。
 どうやら本格的に調子が出てきたみたいだ。

 ベンチの指示を仰ぐ為、振り向いた松谷に、保護用フェンスを掴んだ監督が二回頷いた。
 送りはない。松谷の調子の好さと今日のバッティングから、ヒッティングの方がいいと判断したんだ。
 三打席連続ヒットの松谷に、門倉さんの闘志も湧いているらしい。今日初めての対戦だと言うのに、全力投球で真っ向勝負してくる。
 二球目も同じくストレートで来るかと思ったら、決め球のスライダーが来た。
 それがわずかに外れて1―1。
 振らせようとしたのか、松谷のバットが出なかったのか、見ている側にはわからない。 
 三球目、今度は低めのストレート。これを松谷がバットに当てた。
 後ろに飛んでいく打球を、マスクを外したキャッチャーが追うが、バックネットに当たりファールボール。
 2―1と追い込まれタイムを取った松谷が、ボックスを出てグリップの握りを確認し、再びバットを構える。
 四球目、何が来るのか皆目見当もつかない。
 カーブか、さっき外れたスライダーか、それとも……。
 いや、もう一度ストレートだ。恐らく、今度は胸元へのインハイ。
 門倉さんのコントロールなら、ストライクゾーンを目一杯有効に使いこなせる。
 予想通り…というか、もうボール半分外れたところにビシッと来た。
 打つ気に満ちた松谷の身体をのけぞらす、死球をものともしない完璧な投球。
 俺の読みより、更に一ランク上ではあったが、まるきり外れてはいない。
 前の打席、久住がタイミングを狂わされながらもカーブを当てたのが、一応牽制になったようだ。

 西城のレギュラーで変化球が一番苦手なのは山崎だが、他の選手はタイミングさえ掴めれば、ヒットは無理でも球の見極めはできる。
 門倉さんが変化球を多用するなら、俺達はそれを封じる為に、いつでも頭にその球筋を描いて打席に立つ。
 後は実際、門倉さんの生きたボールを見て打つしかない。
 それがヒットになるか凡打に終わるかは、各個の才能はもちろん、その日のバッターの状態によって、大きく左右される。
 そんな俺達―久住のカーブへの対応や、変化球をバントした田島を見て、多用するのを自粛したんじゃないだろうか。しかも相手は当たりまくっている一番打者だ。

 たった一球のボールに様々な思惑が込められて、突き詰めていくと際限がない。
 相手の考えを読み次の球を待つのも面白いが、敢えて言うなら俺は加納のように、自分の力一杯のボールを全力で投げてくる方が好きだ。
 その気迫に感化され、同じに熱くなれる。

 素直に野球が好きだと言える瞬間。それは、ものすごく単純だ。
 力一杯投げられたボールを、真芯で捉えた時。
 そして、飛んできた白球をグラブに掴んだ時。
 それだけでいいはずなんだ。


 レフトスタンド、頭上からの松谷への応援が、激しさを増す。
 2―2、後のない五球目。
 門倉さんの指からボールが離れる、と同時に久住が走った! 読んでいたかのように松谷がすっとバットを出した。
 バントする気だ! 2ストライクで!? 
 驚きは一瞬、問題は結果だ。犠打になるかセーフティーか、どっちだ!?
 思わず身を乗り出して、ボールの行方を見つめる。
 バットの下方に当たった球がぼてぼてと、走る松谷を追うように転がる。迷わずマウンドを下りた門倉さんが、ラインを割りそうなボールを素手で掴んで一塁に送球した。
 その瞬時の判断に、正直舌を巻いた。
 ラインを超えれば三バント失敗で、労せず二アウトだ。それを期待し、僅かでも迷ってくれたら松谷の足が勝つ可能性もあったのに。 
 頭から突っ込んだ松谷だが、完璧にアウトのタイミングだった。
 それでも、そのプレーが全て無駄になったわけじゃない。走者の久住は三塁に行った。
 2アウトだが、ホームベースにもっとも近い場所まで辿り着けた。
 三者三振で終わった五回裏に比べれば、飛躍的な進歩だ。

 前年度優勝投手の門倉さんから、1点でもいい 奪いたい。
 それが、この試合に臨む西城の選手全員の、一番明確な最低ラインの目標だった。


 二回以来の追加点のチャンスにレフトスタンドが盛り上がりを見せ、西城のグラウンドでいつも耳にしていたベース音が、一つの曲となって自然に頭に入ってくる。
 ……練習していたのは、これだったのか。
 県大会では一度も耳にしなかった、アップテンポのこの曲。野球部員のほとんどが好きだという曲だ。
 そういうのは各部で伝染しやすいものだが、恐らくどちらかの部長が、俺達の好きな曲をリサーチしたんだろう。だとしたら粋な計らいだと思う。

 その客席の盛り上がりは別にして、ベンチからの期待を一身に背負わされたのは、ムードメーカーではあるが、まだ一年の渡辺。彼に久住を還す事ができれば、流れも変わるが。
 次の打席に備え、ベンチ前で身体をほぐす俺の傍に、一塁でアウトになった松谷が戻ってきた。

「惜しかったな、松谷」
 ストレッチを止め声を掛けたら、案外さっぱりした顔でマウンドの門倉さんを振り返った。
「全然。バットに当たっただけで手が痺れちまった。まともに打っても飛びそうになかったんで、苦肉の策ってわけ」
 そう答えて肩を竦め、バッティング用のグローブを外した。「北斗、よくあんな重い球打てたな」
「よく言う、俺のはバントより最悪だったぞ」

 なんせ、誰も生かせずダブルプレーだったんだ。
 ……思い出すとへこんでくる。
 今日は厄日かもしれない、皆の足を引っ張ってばかりだ。
 そんな事をふと思い、苦笑が漏れた。日本古来のしきたりや暦を大切にする瑞希に、いつの間にか感化されてる。

「いや、ちゃんとタイミング取って当ててただろ。次の打席、期待してるぜ」
 俺の肩をポンと叩き、バッターボックスに立つ渡辺をちらっと見て、「難しいだろうな」
 とか言いながら、ベンチに入っていく。
 味方の士気を下げてどうするんだ、と言いたい気分で、その後姿を見送った。が、実は俺も同じ事を考えていた。
 前回の結城キャプテンの打席から門倉さんに変わったんだ。初めての打席で、普通にヒッティングは厳しいだろう。
 そんな俺達の心配をよそに、当の渡辺は門倉さんからヒットではなく4ボールを奪った。

 ……有り得ないだろう? この場面で門倉さんが。どこか、調子悪いのか?
 ネクストサークルに入り、その門倉さんの投球を、じっと見つめた。
 一年の二人を一、三塁に置き、結城キャプテンが打席に立つ。
 その初球、気に掛けるのが馬鹿馬鹿しくなるほどスピードの乗った力強い球が、キャッチャーミットに収まった。
 二打席目の結城キャプテンが、珍しくピクリとも動かない。全力投球の球。
 ふと、次の投球モーションに入る門倉さんの足が、プレートの右端に掛かっているのに気付いた。
 クロスファイア? 
 一球目とほとんど同じところに決まって2ストライク。

 間違いない、プレートの幅を最大限に活かして投げる投球だ。ボールがホームベース上を通る際、外角から内角へ、または内角から外角へと、斜めに通過するような。
 そんな投球術まで、自分のものにしているとは。これが全国一位の実力、という事か。
 その差はほんの僅かでしかないが、少しのズレでもバッティングには大きく影響する。 
 ボールを真芯に捉えられるのはたった一ヶ所、ジャストミートするだけでも至難の技なのに。

 その事にキャプテンも気付いたらしい。自分のスタンスをそうと気取られないよう、微妙に変えた。
 後半に入り、集中力を増した相手の守りに、隙を見出すのは難しく思えた。それに門倉さんの動きにも初戦の硬さは見られない。

 目の前の対決を息を詰めて見守る。
 二人の走者がリードを広げる中、三球目は、ボールになる緩いカーブでタイミングを外された。
 しっかり見送ったキャプテンだが、ボールカウントは2―1、バッテリー有利は変わらない。
 四球目もボールになるカーブ。
 二球続けて遅い球を見せられたキャプテンが、タイムを取り、一旦仕切り直す。
 五球目、ほぼ間違いなく速球が来るとわかっていたのに、バットが出なかった。
 それほど気持ちの乗ったストレートだった。
 結局、キャプテンには珍しく、二度目の打席も見逃しの三振に倒れ、3アウトチェンジ。
 振ることのできなかったバットを地面に叩きつけ、激情をぶつけた。

 久住の作った追加点のチャンスをものにする事ができなかった、自責の念。直情型のキャプテンらしいが、塁に出る事はできた。

 門倉さんからヒットを奪えた事は、駿を欠いた西城の選手にとって、ささやかだが、確かな希望になった。



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