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作品名:星を道標に  \ オーバーカム 作者:ナナセ

第12回 試練のスタジアム Y 前編

               〜 試練のスタジアム Y 前編 〜



「皆さん、ちょっといいですか」

 延長戦に向け、ダッグアウト周辺で各々気合を入れ直す選手達に、和久井監督が珍しく声を張り上げ、ベンチ前にみんなを集めた。

「三年の頑張りで、思いがけず延長戦になりました。それに相原君も治療を終えて帰ってきましたが、当然再登板はできません。ですから、十回のマウンドも成瀬君に行ってもらいます」
 その監督の決断に、選手の間から一際大きな歓声が起こる。
 もう何も言う気にならず、監督の声に大人しく耳を傾けた。
「ですが、皆さんも分かっていると思いますが、彼の体力は限界に近い状態です」
 誤魔化しようもなくはっきり断言され、驚いて顔を上げ仲間へ視線を巡らすと、誰一人動じた風もなく、当然のように監督の話に聞き入っている。
 ……みんな、とっくに気付いてたんだ。
「そんな中、九回を0点に抑えてくれたのは、奇跡としか言いようがありません。十回も同じピッチングをするのは不可能でしょう。ですから、しっかり守ってあげて下さい」
 そう言って、フィールダーの面々に監督自ら頭を下げた。
「この回より先の延長はないと思って、悔いのないプレーを期待しています」
「っす」
「結城君、キャプテンから一言、お願いします」
「えっ!? …と」
 いきなりの指名に逡巡したキャプテンが、ゆっくりと口を開いた。

「俺、和泉高のみんなには申し訳ないけど、いつの間にか代理だって事も忘れるくらい、この試合にのめり込んでた。今までの試合の中で、一番楽しかった。
 それはここが甲子園だからだ」

 そこで一旦切ったキャプテンが、集まった仲間を一人一人見渡して、口調を力強いものに変えた。

「このメンバーで、この場所で、一試合でも多くプレーしたい。だから、この回、絶対勝ちに行くぞっ! いいなお前らッ!!」

 その檄に、選手全員の気持ちが一つになった。

「おっしゃーっ!! 番狂わせ、狙おうぜっ!」


 本当に……太陽みたいな人だ。
 この苦しい状況で、まだ仲間の士気を上げる事ができる。
 春日さんの目は確かだった。それにもう一人、西城の貴重な女子マネージャー、加西夏生(かさいなつき)の目も。

 叶うなら、あいつの気持ちが結城キャプテンに届くといい。
 なんの障害もなく、相手に自分の気持ちを伝えられる。それがどれほど幸運か、加西に早く気付いて欲しい。
 想うだけで伝えないなら、永遠に届かない。
 それを願うのは、俺一人でいいはずなんだ。



 試合再開のアナウンスがスタジアムに流れ、後攻の西城の選手達が一斉にグラウンドに散って行く。

「北斗、倒れたら担いで帰ってやるから、さっきの全力投球で来いよ」
 ベンチ前で、プロテクターを着けた山崎に囁かれ、睨み付けた。
「そんなみっともない真似、できるか」
 言い返す憎まれ口にも力が入らない。
 思いがけず長めに休めはしたが、再びマウンドで投げる事を思うと、一体どこまで自分の体力がもつのか不安になる。そんな顔、駿の前では絶対できないが。

「なら駿、行って来る。応援、しっかり頼むぞ」
 少しばかりの見栄も手伝い、平静を装って声を掛けた。
「ええ、任せて下さい」
 にこやかに微笑んで答えた駿が、「先輩!」と、マウンドに行きかけた俺を呼び止めた。
「ん? どうした?」
 振り向いて首を傾げたら、僅かに迷う素振りを見せた駿が、ためらいながらも言葉を紡いだ。
「あの……野球、楽しんで下さい」
 懇願するような瞳を向け、真剣に訴えられて、一瞬返事に詰まった。
「――ばーか、十分楽しんでるよ」
「でもここ、しわが寄ってました」
 自分の眉間を指差してみせられ、何も言い返せなくなる。
 ふっと嘆息して、駿を見返した。
「……お前な、何でそんな――ああ、テレビ見てたんだったな」
 呟いた声が届いたらしい。小さく頷いた駿が二、三歩近付いて声をひそめた。
「先輩、少しも楽しそうじゃなかった。スランプ、深刻なんですか?」
 レギュラーには俺のスランプについて、それとなく伝えてある。それをどう受け止めるかは、個々に任せているが。
 その事について心配そうに訊かれ、緩く首を振った。
「そんなの、とっくに忘れてた」
「ええ。守備自体は立ち直ってます。立ち直ってないのは、こっち」
 今度は自分の胸に手の平を当てて見せ、表情を曇らせる。責任を感じているような駿に向かい、飛び切りの笑顔で笑いかけた。
「お前がマウンドに還ってきたら、そっちもすぐに復活するさ。じゃあな」
 右手を上げ、グラウンドに駆け出す。その途端、観客席……特に頭上から大きな拍手が起こった。
 思わず振り向いて、至近からレフトスタンドを仰ぎ見る。
 西城の応援席は試合開始前と変わらず、真っ白な夏の制服と、青いメガホンが振られ、一際歓声が大きくなった。

 知った顔が沢山見える。
 初めはそうでもなかったのに、みんなの顔がほんのり色付いていて―――
 日に焼けた肌が、思いがけず目に沁みた。

 ……あいつら、今晩相当疼くんじゃないか?
 馬鹿な奴らだ。いつもは紫外線を天敵みたいにしてるじゃないか。
 そんなに気にするんなら、日傘くらい使えよな。

 最後まで西日の差すレフトスタンド。

 男も女も関係ない。
 俺達と同じ、真夏の日差しにその身を晒し、一生懸命応援していたんだ。
 俺達に、夢を託して。

 フェンスの前に立ち、心配そうに俺を見つめる駿に、視線を巡らせた。

 ―――『野球、楽しんで下さい』

 そうだな、駿。お前の言う通りだ。精一杯投げるのはもちろん、自分が楽しまないと意味ないよな。
 第一、こんなに大勢の仲間に見守られてマウンドに上がる事なんか、二度とないんだ。


 ピッチャーズ・プレートを中心に、綺麗に均(なら)され、トンボの筋だけが円を描くように残されたマウンド。

 侵しがたいその場所に、一足一足、自分だけの足跡が残されていく。
 何て贅沢な事だろう。
 あまりにも不似合いな現状に、少しだけためらい、ゆっくりと歩を進めた。
 照れ臭い様な、くすぐったいような、妙な気分。
 プレートの後ろに立って見据えた先には、四年間バッテリーを組んだ幼馴染がいる。

 この試合、俺がマウンドに立つだけで、『思い残す事、なんもない』と言った。
 優しいあいつは、弱かった俺の苦しみを察し、殴り付けるだけで、繰り返し口にしていた自分の夢を、黙って封印してくれた。
 バッテリーとして甲子園のマウンドに立つ事を。

 こんな風にお前と向き合うなんて思いもしなかったが、それで大切な幼馴染の夢が叶うなら、最後までそのミットに、お前の望む球を投げてやる。
 室生さんに投げたのと同じ、全力投球の俺の球だ。
 コントロールを駆使しても、もう普通に投げる俺の球威では通用しない。
 どこに行くかわからないが、それを捕るくらいの技術は、期待してもいいだろう。
 あれから四年、互いに成長したところを確かめ合うのも悪くない。


 十回表、九対九。
 クリーンナップ最後の五番バッターが、一番打者でボックスに入る。
 その初球、ブンと唸ったバットの後ろで、バシッと重い音を立てミットにボールが収まった。
 山崎からの返球を受け、サインを見つめる。ボール球になるカーブ。
 それは力を抜いて狙い通りの所へ。その球をバッターがすくうようにバットに当てた。
 大きな当たりとなった打球は、ライトを守る渡辺のグラブにしっかりと捕球された。
 レフトスタンドからの拍手、ライトスタンドからはため息。
 俺達の一挙手一投足に、スタンド中が呼応する中、何回目になるのか、帽子を取り、額の汗をユニフォームで拭った。

 あと二人。余力なんかない。
 それでも、門倉さんの前に走者を出すのだけは避けたい。
 山崎のサインは低目、しかもぎりぎりのストライク。
 頷いて投げた球が、あろう事か高めに浮いた。
 やばいっ! 
 思うのと同時に、条件反射で身体が勝手に反応する。
 痛烈な当たりがノーバウンドで左側に飛んで来るのを、咄嗟にグラブを出して止めた。
 バシッと、手の中に入ったボールが、球威のままに飛び出しかける。
 投げた体勢を整える間もなく戻って来た暴れ球を、グラブを固く閉じ、力ずくで止めた。
 半分出かけで収まった白球を右手に持ち替え、初めて、あまり痛んでいない駿のグラブに目が行った。
 この試合だけで、駿が宝物のように大切にしているグラブを傷だらけにしそうだ。
 さっき、一番にその事を詫びなければいけなかったのに、すっかり失念していた。
 自分のボケっぷりに舌打ちしたい気分で、恐る恐るベンチに目を遣ると、フェンスの向こう側に移動した駿が、呆けたようにこっちを見ている。
 気分を害している風には見えないが、こんな荒っぽい真似したらいくら俺が選んだグラブだとしても、面白くない…よな。
 そんな事を考えて、駿の両隣に立つ関と田島に気が付いた。
 後のフォローは、あの二人に任せよう。
 目の前に飛んで来る球を見て手を出さないなんて、俺にはできそうにない。

『――特に左側の守備に関して言えば、間違いなく全国トップクラスだ』

 試合開始直後の松谷の言葉が、ふっと頭に浮かんだ。
 もう随分前に聞いたような気がする。けど、そんな松谷の俺への評価に、自分で傷を付けるのは嫌だ。
 たとえそれが過大評価でも、俺のプレーを賞賛してくれる人がいるなら、いつでも、どんな時でも、その期待に応えるプレーを心がけたい。


 九対九のまま、2アウトで難問の門倉さんを迎える。
 サインを出す山崎にも緊張が走る。
 打者の様子をじっくりと観察し、出されたサイン。それに頷いて、初球を投げた。

 何球目になるのか、カウント2―3になるまでは数えていたが、今はもう、それすらわからない。
 腕が重いし、身体中だるい。
 そんな俺の疲労も、門倉さんは狙っているんだろう。
 これ以上粘られたら、こっちが倒れる。
 だが、敬遠策など最初から取る気なかった。
 もちろんそれは、加納達への意地でもある。
 今のあいつなら、こんな場面でそんな真似絶対しないし、許さない。
 だから俺も、せめてその気概と誇りだけは失いたくない。

 ロージンバッグに手を伸ばし、一息吐いた。
 これが最後。そう思って投げた球を、門倉さんは全てカットしていた。
 次の打者の事を考える余裕もない。ここで、彼で決める。
 ロージンバッグを手放し、打者に向かった。
 振り被って投げる、渾身の一球。
 これが今の精一杯。これ以上の球なんか、もう俺には投げられない。
 自分の狙い通りの所へ―――

 行った球が、門倉さんに完璧に捕らえられた。
 力強いスイングで飛ばされたボールが、高く、遠く飛んで行く。
 実力と経験の差をまざまざと見せ付けられ、振り仰ぎ、思わず白球の行方を追った。
 打球は、さっきの俺のホームランのお返しなのか、綺麗なアーチを描いて、太陽光のなくなった甲子園球場の、センタースタンド中段に飛び込んだ。

 ―――もう、…本当に嫌な人だ。
 なんて効果的にホームランを打つんだ。

 爆発的な歓声を一身に受けて、悠然とバットを手放す門倉さんを前に、ふっとため息が零れ、自然に笑みが浮かんできた。
 妙にさっぱりした気分で、ダイヤモンドを回る彼に一瞬だけ目を遣り、その視線をグラウンドへと移した。

 高木さん、久住、渡辺の外野手が、スタンドに向けていた身体をこちらに戻す。
 グラブを俺に掲げ、暗に励ます一塁手の柴田さんと、苦笑いの松谷。あいつは俺の心境を一番わかっているのかもしれない。
 目の前を平然と通り過ぎていく門倉さんを目で追う、ショート迫田先輩。
 サードベースを踏み本塁へ還る後姿を、悔しそうに唇を噛み締めて見送る結城キャプテン。
 ホームベースの山崎は……気にしない。

 門倉さんが一周したのを確認し、俺の大切な仲間へと、右手を高く突き上げた。
「2アウトだ。みんな、頼むぞッ!」
 初めて、自分から声を掛けた。

 この割れるような大歓声の中、声が届かなくたって構わない。
 俺の示す右手の指が、全てを伝えてくれるはずだ。
 想像通り、それぞれの場所で、思い思いに応える野手に軽く頷いて、山崎に向き直った。

 俺は大丈夫だ、打たれたショックなんかない。ただ、門倉さんに投げさせられて、正直、もうバッターを力で抑える事はできない。 後は仲間に助けてもらう。その為にも、長打だけは阻止したい。

 そうは思っても、今度は八番打者にジャストミートされた打球が、セカンドとファーストの間を綺麗に抜け、渡辺の前まで転がっていった。

 次いで九番、俺は加納や門倉さんじゃない。ホームランを打たれた後に奮起して、あっさり三振に打ち取ったりできない。
 そんなところが、彼らとの決定的な違いなのかもしれない。
 けど、それでいい。
 このマウンドで、思いがけず過去の自分を振り返り、乗り越えることができた。
 それに、一度は山崎に諦めさせていた夢を、どんな形にもせよ叶えられた。
 これまでの、ピッチャーに対するわだかまりも後ろめたさも、全部なくなった。
 西城のマウンドには、ベンチにいる駿がやっぱり一番似合う。
 関と田島にも今日の試合で大きな貸しができたし、これからは駿に繋ぐ為の投球を組み立てて行くだろう。

 明らかに球威の落ちた俺の球に、明峰のバッターが容赦なく襲い掛かる。
 ここにきたら小細工も一切ない。それでも、盗塁の可能性を視野に入れつつ、山崎のミットめがけて、ひたすら投げ続けた。

 田島の、精神的な強さを改めて知った気がする。その真の図太さも。
 打たれても動じる事なく投げ続ける。その困難さは、同じ立場に立たされないとわからない。
 腕が思い通りに振れなくなっても、どれほど連打されても、もう誰かに代わってもらおうとは思わない。
 今はここが、俺に与えられたポジション。
 そこで全力を尽くすのみだ。

 2アウトまで追い詰めながら、一点の追加点を得た明峰の猛攻が続く。
 八、九番に連打を浴びて、ランナーを一、二塁に置き、一番、俊足の左打者に戻った。

 ボックスに入ったバッターが勢いに乗り、打つ気に満ちて声を張り上げる。
 この機に一点でも多く突き放すつもりだ。
 だが、その声も掠れていて、苦しいのは自分達だけじゃないと、鉛のような身体にうそぶいた。
 山崎のサインは、とにかく低目へのストライク。
 けど、そのストライクが思うように入らない。
 ストレートで3ボールを与えてしまい、その都度ランナーが飛び出して、西城に最後までプレッシャーをかけてくる。
 あと一球外せば満塁。
 唾を飲み込もうにも、カラカラに乾いて水分なんか全然ない。
 こめかみから頬に伝い落ちていた汗も、いつの間にか出なくなっていた。

 ……この状態って、相当まずくなかったか?
 意識した瞬間、背筋にぞくっと悪寒が走る。
 そんな弱気な自分を宥めるのも、励ますのも、今は自分自身だけ。
 もう少しの辛抱だ。ストライクさえ入れば、誰かが何とかしてくれる。
 神頼みとは行かないまでも、仲間を頼り、ぎりぎりまで追い詰められた思考を、試合の現状に無理矢理押し戻した。

 次に甘い球が行けば、必ず振ってくるだろう。
 集中力を増した敵の打つ気を逸らす為、最後になって欲しいと願いを込めて、ロージンバッグに手を伸ばした。

 八回の時には違和感を感じたそれが、手に取る度、懐かしい感触を思い起こさせる。
 だが、ノスタルジーに浸るにはまだ早い。全て終わってからだ。
 あとたった一つ。
 セカンドのランナーを目だけで牽制して、バッターに集中した。
 行くぞ、山崎!
 誰でもいい、この流れを断ち切ってくれっ!

 そう、ほとんど他人任せに投げた一球。それが、狙いすましたバッターにしっかりと捕らえられた。

 抜けるッ!

 投げた球筋と、バットのスイング角度、ヒットポイント、全てを瞬時に計算する。
 行き先はサードとショート中間への強襲ライナー。
 迫田さんか結城さんへの打球、高木さんが後方でバックアップする。
 そんな事を一々考えたりしなくても、みんなの動きが手に取るようにわかる。だから、迷わず走れる。
 フルスピードでレフトに抜ける打球を、結城キャプテンが横っ飛びで止めた! けど、ダイレクトじゃない、グラブの手前で地面についた。その体勢で一塁には投げれない。
 フォローは、俺の領分だ! 

「サード来いッ!」
 先輩に一番近い三塁に走りながら、ありったけの声量で怒鳴った。
 体勢を崩しながらも強引に振り向いたキャプテンから、これ以上ないほど絶妙の位置にボールが飛んで来た。
 この場面でその送球ができるキャプテンのプレーを、正直すごいと思う。
 失敗できない、したくない。
 意識した瞬間、全身を熱い血が駆け巡る。
 駆り立てられるようにその球をキャッチし、セカンドランナーとほぼ同時にサードベースを駆け抜けた。
 タッチは必要ない。
 三塁塁審のジャッジに目を遣り、結城キャプテンの迷いのない判断が、走者に勝った事を知った。

 好プレーを連発したキャプテンに目を遣ると、グラウンドに倒れ込んでいる。
 頭から地面に突っ込んだらしく、迫田さんが助け起こすのを見て、力尽きそうな重い足をどうにか動かし、駆け寄った。

「北斗、ナイスアシスト」
 迫田先輩に支えられ、上半身を起こしたキャプテンが、俺を見て満足そうな笑みを零す。
 その額には、俺への送球を優先した為にできた擦り傷が、痛々しく血を滲ませていた。

 ……みんな、満身創痍だ。
 けど、なんか気持ちいい。

 ピッチャーとはいえ、恐らく最後になるだろう、結城キャプテンとの連携プレーができた。
 それが、何より嬉しかった。





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