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作品名:星を道標に  \ オーバーカム 作者:ナナセ

第11回 試練のスタジアム X 後編

               〜 試練のスタジアム X 後編 〜



「成先輩すごい! 最高でした!」

 ダッグアウトの前で駿に先に声を掛けられて、負傷してない右肩に手を掛けた。
「駿、俺……もう駄目、体力の限界」
「大丈夫です! あの調子ならまだまだ行けますよ」
 ふらふらになって戻って来た俺に、駿がなぜか力強く請け負った。
「無茶言うな。それに悪い、西城逆転された」
「たった一点、どうにかなります。六番からなら隠れクリーンナップですよ。そうでしょう? 先輩」
 高木、柴田両先輩と久住を見やり、そんな事を言う。言われた当事者の方が明らかに面食らった。
 病院に行く前と性格が変わってないか? 肩の治療に行ったはずが、やけに饒舌になってるような……。

「駿、詳しく知ってんなあ」
 プロテクターを着けたまま俺達の元に来た山崎が、不思議そうに首を傾げた。
「病院で見てたんです」
「あっ! テレビ!!」
 叫んだ山崎に、駿が大きく頷いた。
「だから、早くここに帰って来たかった。みんな凄かったです。自分もさっきまであの画面の中にいたなんて信じられなくて。でも、解説の人とか、西城をすごく褒めてて、その病院にいた人達も俺のユニフォームに気付いて、『頑張れ』って、沢山声を掛けてくれたんです。きっと今も応援してくれてますよ」
「あー、それがあったか」
 山崎がたった今思い出したように、唸り声を上げた。
 それを一番楽しみにしていたはずだが、この試合内容ではそんな余裕もなかったに違いない。
 俺をリードする事以外は、全て忘れ去っていたんだろう。出番のなくなったグラウンドを、ものすごく恨めしそうに振り返った山崎と対照的に、最終回の一番打者、高木さんが、手にしたバットをブンブン振り回した。
「おーっ!? なんか力がみなぎってきたぁ!」
 この試合の中で一番生き生きとして、バッターボックスに向かう。
 二番バッターの柴田さんも、そんな同級生にクスッと笑みを零し、ネクストサークルへ。
 それを見送りダッグアウトに入った。


 俺にできる事は全部やったつもりだ。
 後は、この試合の結果を見届けるだけ。
 応援しようにも、思うように声が出ない。なら、他の奴に任せた方がはるかにましだ。
 それに駿が、ぎりぎりにでも戻って来た事が、何よりの発奮材料になった。
 駿がそこにいるだけで、ベンチの空気が華やかになる。
 やっぱり、彼の本来の気質はこのカリスマだ。俺でさえ安心感が生まれ、見えないパワーが引き出される気がする。

 試合の最後を見届けるのにふさわしいベンチの雰囲気に全てを預け、一人、水分補給をする為、一番奥のイスに腰を下ろした。

 一点ビハインドで九回裏を迎える俺は、結局一度もブルペンでの投球練習をしなかった。
 それを責める者は誰もいないし、体力がなかったのも事実だが、いい加減な即席ピッチャーだと、隅で一人恥じ入っていると、出て行った時と一見少しも変わらない駿が、俺の横に来た。

「先輩、隣いいですか?」
「ん? 構わないけど、試合見なくていいのか?」
 すると、明らかに呆れた眼差しを向けられた。
「その台詞、そっくりそのままお返しします。いいんですか、こんな奥に篭ってて。先輩の檄が一番効果あるのに」
「そんな事ないさ。それにほら、わかるだろ? 喉。声、出にくくなってんだ」
「そう言えば、ちょっと掠れてますね」
 今度は心配そうな瞳を向けられ、それこそ立場が逆だろうと、苦笑が漏れた。
「それよりどうだったんだ? その肩」
 視線で促すと、駿の表情がわずかに沈んだ。
「全治三週間です」
「そうか。…たいした事なくてよかった」
 そう言いつつ、内心でため息を吐いた。

 全治三週間は大事(おおごと)だ。今日の試合に万一勝っても、明日以降マウンドに立てないという事実は、西城の選手にとってもっとも大きな痛手だ。もちろん、一人暮らしの駿自身にとっても。

 なのに怪我をした当人は、それほど気落ちした風もなく俺に微笑みかけてきた。
「先輩が叫んでくれたから、直撃を免れたんです。もろに受けてたら完全にヒビ入ってました」
「……マウンド、怖くなったか?」
 一番気がかりだった事を率直に訊ねてみると、逆に驚いたように目を見開き、大きく首を横に振った。
「いいえ、そんなの少しも……あ、もしかして精神的な後遺症、心配してたんですか?」
「いや、それほど大袈裟なもんじゃないけど。やっぱ硬球は怖いだろ」
「野球できるかどうかわからなかった中学時代の方が怖かったです、っていうか…苦しかった」

 俺には、その時の駿の気持ちがわかりすぎる。自分も一年前に経験したばかりだ。
 だが、駿がそれを俺に明かした事に、正直驚いた。
 ぼそっと告げられた本心に、駿の本質が垣間見える。自分の弱みを晒すのは、もっとも苦手とする事なんだろう。
 
「そうだな」
 短く同意し、わざと話題を変えた。「そういえば駿、ベンチ出て行く時、妙な事言ってたよな。俺がお前に何かしたって」
「え? ああ、はい」
「あれ、どういう意味だったんだ?」
「え…と、一つは俺に当たった球を、ダイレクトで捕ってくれた事です」
「はあ? あれは今日の最悪なプレーの一つだぞ」
 やな事思い出した。「クッソォ、あの時ゲッツーできてたらなぁ」
 プレーを後悔する事など滅多にない俺だが、悔しくてついぼやいたら、駿がククッと笑いをかみ殺した。
「……なんだよ」
「別に。だけどそこで悔しがるのが、先輩の先輩たる所以(ゆえん)、なんでしょうね」
「…何だ? そのまどろっこしい言い方は」
「いえ、他の人にはその前の段階からして超人的、という事です」
「超人? …なら俺は人間じゃないってか?」
「ある意味そうかもしれないですね。とにかく、普通でないのは保証します」
「……知らなかった。駿でもそんな冗談言うんだ」
 今まで見せた事のない親近感。それを強く感じ、どんな顔して言っているのか見たくて隣を覗き込んだら、駿がきょとんとして首を傾げた。
「え? 冗談なんか言ってませんけど」
 本気……だったのか!?
「馬鹿言ってんな。俺くらいの奴、プロの世界に行ったら掃いて捨てるほどいるぞ」
「プロ!? そんな事まで考えてるんですか?」
「だーかーらぁ、俺はその足元にも及ばないって言ってんの。それはもういいから、後の一つは?」
 これ以上話が大きくならない内に、先輩の特権で本題に戻すと、またクスッと笑いを漏らした駿が、表情を改めて俺を見返した。
「六回裏、最後まで続投するよう、監督に言ってくれた事、です」
「なんだ、そんな事か」
 何かした覚えなど皆目なかったが、もっとすごい事を想像していた俺は、はっきり言って拍子抜けした。

 あれは、田島のうろたえぶりに不安になり、駿の気迫に頼っただけの話だ。
 怪我を圧してもマウンドに立ちたいと願った駿を利用した、情けない先輩だ。
 その時の駿の想いを考慮したとしても、こいつに余裕があったわけじゃない、ぎりぎりの投球だった。

「あれは、まあ、結果的によかっただけで……」
「ええ。俺、基本的に無茶はしません。無理をしてもいい結果が得られるとは思わないし、どこかで必ず歪み…っていうか、しわ寄せがくる。けどあの時だけは、どうしても最後まで投げたかった」
「――『あの時』、じゃなくて、本当は『この試合は』、だろ?」
 訂正してやると、目を瞠った駿の瞳に、自嘲にも似た色が浮かんだ。
「やっぱり、…先輩には敵わないな、全部読まれてしまう。最初からお見通し、ですか」
「初めから知ってたわけじゃない、気付いたんだ。お前の必死な姿見て、もしかしてって」
 すると、視線を自分の足元に落とした駿が、一瞬だけ寂しげな微笑を浮かべた。
「そう…ですか。でも、あの回だけでも投げ切れてよかった。おかげで何か吹っ切れました」
「そっか。なら、よかった」
 それだけ答えて、俺も密やかに笑った。


 見えないものに縛られていた駿の心の闇が、わずかでも薄らいだのなら、無茶をした甲斐もある。
 たとえ連打されても構わなかった。本当は駿に、『この回、最後までお前に任せる』と、言ってやっていたなら、こいつの負担も少しは減ったんだろうか? 
 ……ああ、そうだ。前キャプテンの春日さんなら、そう言っていた気がする。
 追い詰めるように見せて、その実、一番難しいその台詞。誰もが勝ちたいと願っている中でそれを言えるのは、仲間を信頼し、自身も強い人間だけだ。
 俺が口にしたのとは真逆の……。

 まだまだあの人には追いつけない。駿を庇ったつもりが、逆に追い詰めていたのかもしれない。
 そんな俺の未熟な判断を受け入れてくれた駿にこそ、心から感謝したい。


 そんな事を考えていると、「――成先輩」と、どこか遠慮がちな声が俺を呼んだ。
「ん? 何?」
「あの……」
 呼びかけておいて、中々続きを口にしない駿を、訝しく見た。
「どうした? 何か、あったのか?」
「ええ。…ものすごい事が」
 その言い様に、警戒するよりも笑えてきた。駿の目が、さっきまでと明らかに違う。
宝物の在り処(ありか)を探し当てた子供みたいに輝いて見えたせいだ。
「何だ? その『ものすごい事』って」

 ……ひょっとして、その話をするのが目的で、攻撃の応援より俺の横に座ったのか。
 もしそうなら可愛い奴だ。自分の見つけた秘密を俺に聞かせたいらしい。その心情が素直に嬉しい。

「あ、わかった。美人の看護師に一目惚れでもしたんだろ」
 言い出しにくそうな駿の緊張を解すつもりで、わざと茶化してやると、想像通り冷たく一瞥された。
「先輩、ふざけてないで――」
 言い返しかけた駿が、何かに気付いたように、そこで言葉を切った。
「……駿?」
「ああ、そうですね。確かに、『一目惚れ』しました」
「はあッ!?」
 予想外の展開に、からかった俺の方が慌てた。「――マジか。けどお前、それはちょっと、厳しいんじゃないのか?」
「ええ。相当の覚悟が要ると思ってます」
「いや、覚悟の前に自分の状況を考えろ。俺達、ここに住んでるわけじゃないんだぞ」

 真剣な試合の最中に、またこの空間だけ妙な方に流れていく。何の話をしているのやらだが、とにかく駿の一目惚れが事実なら、俺は現実を教えてやらなければ。

「それにお前、相手の名前だって知らないんだろ? そんな相手を相手に――あれ?」
 結構本気で諦めるよう説得しかけた俺の冴えない言葉に、自分で混乱してしまった。
 これは瑞希の十八番だったはずなのに……そう思い頭を抱えると、そんな俺をちらっと見て、駿が平然と答えた。 
「名前なら知ってます」
「あ、そう。…って、お前なぁ」

 確かに、最近の看護師はネームプレートを付けているから、知ろうと思えば名前もすぐにわかる。それにしても、だ。
『何をしに病院行ってたんだ』と、呆れ半分言いかけた声が、喉の奥で消えた。

「――『成瀬北斗』、って言うんです。その人」
「………は?」
 ポカンと口を開け、見入ること数秒。言われた内容がようやく脳に達し、イスからずるっと落ちかけた。
「あのな、駿……」
「と言っても、成先輩のプレーに、改めて『一目惚れ』したって意味ですけどね」
「…………」

 こいつ、俺をからかってるな。
 じろっと睨みつけたら、少しだけ首を竦めた駿が、誰にも聞こえないように声を潜めた。
「先輩が待ってるのは、瑞希先輩だけでしょう?」
 駿を見返す瞳に、戸惑いの色が浮かぶのを隠し切れない。それに気付いたはずなのに、少しも態度を変えず、意味深な台詞を口にした。
「瑞希先輩って、昔から半端じゃなく鈍いですから、先輩、相当苦労しますよ」
 そう言って可笑しそうにクスクス笑う。その表情に嘘や見栄は感じられない。本心から面白がってる。そんな後輩をまじまじと見返して、複雑な気分になった。
「駿、どうして……」

 お前だって、誰よりも強く瑞希に思慕を抱いていたはずだ。それなのに、そんな事を言い出した真意がわからない。

 益々混乱していると、ざわめく俺の心情とは裏腹に、駿が穏やかな口調で告げた。
「――大丈夫です。俺、瑞希先輩もだけど、成先輩も同じくらい大切だから。……田舎で初めて会った時から、あなたを知るほど惹かれていって……今日、止めを刺された」
「ちょっ…と、待ってくれ。そんな事した覚えもないぞ、俺は」
「いいえ。ここを、確かに貫かれました」
 自分の胸を指差して、俺を見つめる真剣な眼差し。
 そんな瞳で見られたら、冗談で流す事もできやしない。どう応えればいいんだ? 俺は。

 試合中のプレーの判断なら、瞬時に対応する自信がある。それに突発的な出来事に対しても。なのに、今の駿に答えるべき言葉が、全然出てこない。

 ここがベンチじゃなかったら、きっと後ずさっていただろう。
 そんな俺に構うことなく、今度は少し拗ねたような目で俺を見た。
「先輩にピッチャーの経験があったなんて、少しも知らなかった。久住もそんなの言った事なかったし」
「それは、…久住だから」
「ええ。わかってます。けど、待合室のテレビの前で、俺がどれだけ驚いたか、…先輩にはわからないでしょう」
 それは、俺も少しは想像した。
「……心臓発作でも起こしかけたか?」
 すると、意志の強そうな瞳に、悪戯っぽい色が宿った。
「それに近かったです。……あそこが病院で、ほんとよかった」
 その返事に、二人同時に噴き出した。

 駿の心が読めず面食らっていた俺も、ようやく平常心を取り戻していた。
「俺も、マウンドに立たされた時は、倒れるんじゃないかと思った」
 正直な心の内を明かして、自分から進んで投げたわけじゃないと暗に告げる。
 詳しい成り行きなど知らないはずの駿が、「でしょうね」と、苦笑して相槌を打った。
「ここに戻ってから、一応の事情は先輩達に聞きました」
「あ、そうか。関と田島が黙ってるわけないよな。九回の守備も長かったし」
「ええ。田島先輩が投げる事になってたはずなのに、治療終わって待合室に行ったら、八回、成先輩に代わってて……それだけでも驚くには十分だったのに、門倉さんの打球捕ったの見て、寒気がしました」
「何で寒気なんだ? どうせなら熱くなれよ、張り合いのない奴」
「あのプレー見せられて熱くなんて……自分に自信がないとなれません。だから俺、決めたんです」
「『決めた』? って、…何を?」
「成先輩に、ピッチャーのノー・ハウ教わろうって」
「はあっ!? ……」
 パクパクと、開いた口が塞がらない。完全に駿の言動に振り回されている。
 そんな俺のうろたえぶりを、楽しそうに眺めていた駿が、口元を引き締めた。
「俺、成先輩みたいなピッチャーになりたい。今までずっと一人で投げてきて、プロの選手で憧れてた人はいたけど、身近で凄いって実感したの、先輩が初めてなんです。こんなにはっきりした目標を見つけたのも」
「馬鹿言うな! そんな低い志でどうするんだ、目標ってのは自分より高いもんだろ」
「わかってますよ、それくらい。俺が先輩を目標にしたいのは、マウンドでの判断力と、たとえ投手でもいつもの守備ができるところです」
「……打者に集中する為に、それを捨てて九回、室生さんに投げたんだぞ」
「なら、俺は自分の最高のピッチングをしつつ、成先輩の半分でもいい、守備力を高めたい。そうする事で初めて、先輩に釣り合う…というか、守られる価値のある投手になれる気がするんです」
 迷いのない、ひたむきな瞳を向けられ、俺の方が胸が熱くなる。

 母親との二人暮らしを引き裂くような真似をして、強引にあの田舎から連れ出したのはこの俺だ。
 その事に少なからず罪の意識を感じていた。俺も、同じ環境で生きてきたから。
 互いにどれほど相手を大切に想っていたか、誰よりもよくわかっていたから、ずっと罪悪感を拭いきれなかった。
 だが今の駿の決意が、そんな俺の後ろめたさを消し去ってくれた。

「いや、そんな頑張らなくても、バックは俺と松谷に任せてくれ」

 ―――ありがとな、駿。

「そうですね。先輩、ショートに未練一杯でしたから。俺も早くピッチャーに復帰して、みんなともう一度、甲子園に来たいです」

 駿を西城に呼んだ事が、こいつにとっても、俺達と同様、『希望の欠片』になればいい。

「ああ、頼む。西城のマウンドには、やっぱりお前が一番似合うよ」


 この試合を通じて、一番強く感じた事。
 それは、現在の西城の真のエースピッチャー、夏目さんへの未練や、登録しなかった事への不満じゃなかった。
 俺達の未来を担うのは、やはり駿しかいない。

「先輩も似合ってましたよ」
「――駄目だよ、俺は」
「ええ。ショートの方が生き生きしてました。だから、来年はスランプも守備の交代もない、100%の先輩の本領、県大会の時のプレーを、スタジアムの外の人にも見せて欲しい」
「『外の人』? …って、ああ、中継か」
「はい。でも先輩、画面越しより実物の方がずっと男っぽいですね」
「……どんな風に映ってたんだ?」
「え、えっと……」
「あ、いや、いい。聞かなかった事にしてくれ」
 手を振って前言撤回したら、俺を見て微かに首を傾げた駿が、わざと顔を背けた。
「――そうですね、止めときます」
 思いがけずそんな風に返され、余計気になってしまう。
 密かに唇に笑みを刻む駿を横目に、こっそりとため息を吐いた。

 こいつ、案外策士なのかも……。

 これまで気付きもしなかった、駿の隠された一面を、見せ付けられた気がしていた。

 

 試合は九回裏、最後の攻撃で八対九の一点差。

 いつの間にか、ファーストバッターの高木さんが一塁に出て、打席には二番手の柴田さんが立っていた。
 グラウンドでは、相変わらず門倉さんの力投が続く。
 だが、西城のベンチの士気は、戻ってきた駿のおかげでこれまでになく上がっていた。
 たとえ再び試合に出る事は無理でも、選手全員が揃う事に、大きな意味がある。
 それに、全国ネットでの放映を直に伝えられ、しかも自分達を応援してくれている人がいるとなれば、気持ちも自然に乗ってくる。

 一方の門倉さんは、百戦錬磨とはいえ、初日の今日、この回を抑えれば初戦突破。
 その緊張が、まったくないとは言えないだろう。そこに、西城の付け入る隙ができる……かもしれない。
 そう考え、グラウンドに目を遣った先で、門倉さんが何球目かを投げた。と同時に、高木さんが二塁に走った!
 普段の高木さんからは想像もつかない、アグレッシブな行動に驚いて、俺と駿もつられるようにベンチのガードに駆け寄る。
 そこで見ていた部員達が、身体を細くして、二人分のスペースを確保してくれた。

 ここに来て、こんな無茶するなんて。
 でも、高木さんも冷静な人だ。なら、この一瞬をずっと狙っていたのかもしれない。
 投手のプレッシャーが最大になる九回。
 その裏の一点差のゲーム。当然、リードしている方の精神的重圧は、追いかける西城の比じゃない。しかも、勝って当然の格下が相手だ。

 負ければ次はない。
 それが甲子園という球場の独特の雰囲気を、一層強く印象付ける。
 味方にできれば、これほど熱くなれる場所はない。反面、敵に回れば――
 考えたくもない。

 実は、全国ネットというのも『諸刃の剣』だ。それが必ずしも力になるとは限らない。 その点で、三年はともかく、単純な奴の多い一、二年が大いに盛り上がったのは、幸運だったんだろう。
 ……いや。駿が本当に策士だったら、そんな西城のメンバーの気質を考えた上で、わざと口にしたのかもしれない。
 だが、もし追加点が入るとしても、同点に追いつくだけでは、俺達に勝ち目はない。
 延長戦なんか全然考えてなかったから、九回で力の全てを使い切ってしまった。
 いつもならあと一試合くらいやろうと思えばできるのに、このゲームは気力も体力も本当に出し尽くした、そんな気分。ベンチから出るのも、実はものすごく億劫だ。
 ふっと小さく息を吐き、身体を手すりに預けて目を閉じた。

 ワッと周囲が歓声に沸き、目を開けるのと同時に、高木さんが三塁に行った事を知った。
 柴田さんがバントで送った結果だ。強振すると思っていたのに、後を久住に託したんだ。
 先輩後輩は関係ない。仲間の力を信じ、一人ひとりが自分の果たすべき役割をきっちりこなす。
 きっとこれが、今の西城のスタイル。名実共にナンバー1の明峰と、どうにか対等に戦ってこれた強さだ。

 1アウト三塁、絶好の追加点のチャンスで、久住が対門倉さんの三度目の打席に立つ。 隣で駿が祈るように指を組み、じっと二人の対決を見守っていた。
 声を掛けるのを止め、黙ってマウンドに視線を移したその初球、見つめる俺達の前で、久住のバットが門倉さんの球を、初めて完璧に捕らえた!
 久々に快音を響かせた久住が、バットを手放し一塁に走る。

 頼む! そのままスタンドに入れ! 入ってくれッ!!

 心の底から強く願った。
 次の試合に誰がマウンドに立つんだ、とか、そんな諸々も全て忘れ、ただ祈った。
 だが、願いは空しく、フェンスぎりぎりセンターの一番深い所で、打球は構えたグラブの中に収まった。
 それを見て高木さんが余裕でホームに還って来る。
 あわや、という大きな当たりに、レフトスタンドは拍手とため息が入り混じり、落胆を隠し切れない。
 入ればゲームセット、甲子園初勝利だった事を思えば、そんな感情にも頷ける。

 何イニングか前には、零される溜息すらこっちが責められているようで、過剰な期待をしないで欲しいと思っていたのに、俺の中でどんな心境の変化が起きたのか、自分自身理解できない。
 ただし、引き金はあれだ。関の、田島から俺へのピッチャー交代。
 やっぱりあれが、ターニングポイントだった。

 それはともかく、当然今のは値(あたい)千金の価値ある犠打だった。
 あれで一年とは、駿といい久住といい、怖い奴らが揃ったもんだ。同じ高校で本当によかった。
 心底ほっとして、ランナーのいなくなったダイヤモンドに目を遣った。

 久住がジャストミートしたからといって、門倉さんの制球が悪かったわけでも、球威が落ちたわけでもない。久住の気迫が勝ったんだ。
 それは俺と同じ、駿が帰ってきたせいかもしれない。
 ベンチに戻ってきた久住は、満足のいく結果とは言い難い顔をしていた。
 但し、それも駿と目を合わせた時の一瞬だけ。すぐにいつもの感情を出さないあいつになった。


 九対九の同点に追いついた西城だが、勝ち越しのランナーは塁にいない。
 2アウトで、ラストバッターの迫田さんが打席に立ち、レフトスタンドからは、これまで以上の声援が送られる。
 逆に、追いつかれピンチを迎えたはずの明峰のエースピッチャーは、少しも動じる事なく淡々と投げ、最後には得意のスライダーで迫田さんを三振に仕留めた。


 ざわざわと、スタンドからのざわめきが収まらない。
 九回にきて同点に追いつかれるとは想像もしていなかったライトスタンドと、優勝候補相手に善戦している俺達への、レフトスタンドの驚き、だと思う。
 延長戦に入る前の、グラウンド整備の間、ベンチの中は興奮を隠しきれない。
 観客以上に、俺達が一番信じられないのは、言うまでもない。
 だが―――。


「駿、全治三週間、って事は、この試合……やっぱ無理なんだよな」
 再びダッグアウトの奥にこもり、もう一度水分補給と簡単なストレッチをしつつ、それに付き合う駿に訊いていた。
 そんな事を今更訊かれるとは思いもしてなかったのか、駿が唖然と目を瞠り、盛大な溜息を吐き出した。
「……先輩、それを俺に訊きますか?」
「―――だよな。…悪い、気にしないでくれ」

 わかってはいるんだ。けど、誰かに縋りたい俺の気持ちは、七回、初めてマウンドに立った時からずっと変わらない。

「見た目は同じですけど、中、がちがちに固められてて動かせないんです」
 実際に身体の左側を動かして見せられ、思わず絶句した。すると、
「それに俺、先輩の――」
 何か言い掛け、そこでまた言葉を切る。が、それはやめて欲しい、駿のは心臓に悪い。
「俺の……何?」

 聞き返していて、以前にもこれと同じ台詞を言った事があったと、思い出した。遠い昔の事じゃない、どちらかというと、つい最近……。

「あ、…いえ、何でもないです。それより先輩の状態、そんなに厳しいんですか?」
「当たり前だろ、はっきり言って一回りだけで限界だ。九回裏でケリ、つけて欲しかった」
「でも、十回もマウンド、上がってくれますよね」
「――仕方ないだろ。お前がそれじゃあ」
 ロボットみたいな動きを目の前でされて、俺の代わりに――なんて、言えるわけない。
「すみません」
 小さな声で謝られ、ぷっと噴き出して唐突に思い出した。

 一年以上前の、西城の川土手。瑞希を『吉野』と、呼んでいた頃の事。



 あいつの悩みを打ち明けられ、動揺する心とは裏腹に、自分の正直すぎる身体の変化を持て余し、吉野の気持ちを想って深く落ち込んだ。
 それでも、あいつを一人で帰せなくて……帰したくなくて、家まで送って行くと言い張った、親睦会の日の夜。
 その途中で、ランディーのリードが俺達の身体に巻き付き、身動きできず土手の斜面を転がり落ちた。
 そこでそのまま座り込んで話している時、瑞希が口にしたんだ、『成瀬の――』と。
 その後、口ごもってしまったんで、さっきと同じ言葉を口にしていた。
『俺の……何?』と。



 俯いて謝る駿を見ていると、育ってきた環境が似ているからか、ちょっとした仕草や反応なんか、瑞希と同じ表情をする時がある。
 今も……共通する話題なんかじゃないのに、小さく謝る駿の姿が、何故かあの時の瑞希とだぶって見える。
 


 俺の身体の変化を、半ば強引に教えた。
 本当なら……女性なら絶対許されないだろう、セクハラな行為―もちろんそんな真似、あいつ以外にする気はないが―にも関わらず、触らされた左手を大事そうに胸に当てたのを見て、心臓を鷲掴みされた気がした。

 切なさと、愛しさ。
 そんな、経験した事のない感情が湧き上がってくるのを、はっきりと感じた。
 痺れにも似た甘い疼きと、傍にいたい、離したくないと、強く想う気持ち。
 今思えは、あの時がそうだったのかもしれない。
 一目惚れなど信じない。そんなものに舞い上がるほど、俺の恋愛感情は豊かじゃない。
 それでも、俺の心を揺り動かしたあいつは、俺にとって唯一無二の存在だ。
 互いに気付かず、それでもたった数日で、大切な存在へと確実に変わっていった。

 過去の『みーちゃん』と繋がってしまった今、あの頃の、一人の人間を知っていく新鮮さや面白さが、俺達の間に再び訪れる事はない。
 だからよけい、あの半年間の出来事の一つ一つが、何ものにも替え難い宝物に思える。
 思い出す度、喜びと戸惑い、羞恥や驚きの連続だった。

 振り返れば、その中心には必ずランディーがいた。

 ランディーがもたらしてくれた、奇跡の出会い。
 全ての始まりはランディー、あいつだったのか。


 ……あの、くりっとした、まん丸な目が見たくなったな。
 俺を見上げて、「遊んでくれ」と催促する、いたずらっ子のような眼差しも、今はどこかとろんとして、年がいった事を実感する。
 けど、何よりもその無垢な瞳に癒され、元気づけられてきた。


「先輩? どうしたんですか? やけに嬉しそうなんですけど」
 身体を休めながら、想いに耽っていたらしい。
 駿に不思議そうに顔を覗き込まれ、「いや」と、首を振った。
「何でもない、ちょっとランディーの事を思い出してただけ」
「ランディー? そういえば長いこと会ってないな。元気ですか?」
「ああ、夏バテ気味ではあるが」
 答えていて、駿もランディーに気に入られているのを思い出した。「この大会終わったら遊びに来るか?」
 小声で誘うと、駿が素直すぎる反応を見せた。
「いいんですか?」
「ああ、瑞希も喜ぶだろ。なんなら久住も誘うか?」
 いつも先輩二人を相手にするんじゃ、駿の気が休まらない。
「敦…ですか?」
 喜んでいいものかどうか、迷ったらしい。困惑の色を深めた駿の耳元に囁いた。
「あいつの口の堅さは、俺が保証する」
「……そうでした」
 くすぐったそうに、それでもこくんと頷いた駿の仕草が、瑞希と重なる。
 目を細めてそれを見つめた。


 駿の言う通りだ。

 俺は、ずっと待っている。

 ただし、あいつへのこの想いが、淡く穏やかな思い出になるのを。

 みーちゃんとの別れを受け入れた時のように、懐かしく振り返る日が来る事を。

 俺は、待っている。


 きっと……永遠に。





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