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作品名:星を道標に  \ オーバーカム 作者:ナナセ

第10回 試練のスタジアム X 前編
               〜 試練のスタジアム X 前編 〜
  



『 今、何してる?

 ぼくは毎日、野球ばかりしてるよ。 

 君が元気になって帰ってきたら、キャッチボールするの楽しみにしてたんだ。


 でも、それはもう無理なんだね。

 なら、かわりにホームランをたくさん打つ。

 空高く上がったら、君にも見えるかもしれないだろ?

 だから、君はグラブの代わりに、その青空で受け止めて。

 君とぼくとの、心のキャッチボールだ。
    

 空ににじの橋がかかったら、君からの返事にするよ。

 きっといつか、ぼくもその橋をわたって、君に会いに行く。

 それまで、そこからぼくを見てて。
 

 この手紙、わたせなくても 君にはとどくよね 』






 予想以上に高く上がった打球の軌跡のせいか、三塁に向かいながら小学四年の時、みーちゃんに書いた手紙を思い出していた。

 出す宛てもない、ほんの気紛れで書いた、十才の俺の本心。
 みーちゃんがいなくなった現実を受け入れ、納得するのに二年かかった。
 宿題で出された手紙のあて先を誰にしようかと考えていて、ふと思いついた。
 立ち直った自分を確かめたい、それだけだったのに、書き上げた後 涙がどうしようもなく溢れてきて、ベッドに突っ伏し声を殺して泣き続けた。

 あの日以来、みーちゃんの事は封印した。
 存在を忘れるなんてできない。けど思い出せば辛くて堪らなくなる。だから、胸の奥底にしまい込み触れないようにした。

 みーちゃんが俺の中で本当に思い出になったと実感したのは、中学生活最後の試合、夏季総体―県大会で優勝した事をランディーに報告した時だ。


          ・          ・          ・


「ランディー! やったぞ、俺達優勝したんだ!」

 俺の姿を見つけ、いつもと同じに吠えるランディーに駆け寄り、嬉しさのあまりその首をぎゅうぎゅう抱きしめていた。

「あー、まだ信じられない。俺二本もホームラン打ったんだ。凄いだろ? 一試合2ホーマーなんか初めてだよ。みーちゃんにも見せたかったな、俺の勇姿。
 けどさ、一本は絶対、あいつにも見えたと思う。だってすごく高く飛んでいったんだ、ほんとに空の上まで―――」

 夢中で試合を振り返り、興奮状態でまくし立てていて気が付いた。
 みーちゃんに見て欲しかったと、ランディーになら素直に言えた。少しも辛くならずに。
 ランディーにもそれが伝わったのか、いつも以上に嬉しげに尻尾を大きく振ってくれた。

「……そっか、お前がいたな。お前もみーちゃんの名前聞かなくなって寂しかったのか?」
 覗き込んだ丸い瞳にじっと見返され、これまでわざと口にしなかった事を後悔した。
「そうだよな、お前も覚えてるに決まってるよな。ごめんな、今までみーちゃんの事、避けてて。これからはもっと話すよ。一緒にあいつに報告しよう」


 みーちゃんと別れてから十年、その存在を心の奥底に沈めてから、五年。
 もう記憶も薄れていていいはずなのに、いつまでも鮮やかに蘇る、遠い昔の俺達。

 思い出すと辛いだけだったその記憶は、掘り起こしてみると、いつの間にか懐かしさを伴い、俺の心の片隅にひっそりと息づいていた。


          ・          ・          ・


 サードベースを踏む前に、少しだけ顔を上げ、レフトスタンドに目を遣った。
 隣同士抱き合い喜ぶ黎明女子のチアガール。
 壊れそうなくらい激しくメガホンを叩く同級生。
 もしかしたら、瑞希もどこかでこのホームランを目にしただろうか?


 みーちゃんに宛てた手紙は捨てる事もできず、成績表と一緒に、瑞希が奪いかけたファイルの、一番後ろのページに入れてある。
 あれを見れば、俺の成績表以上に動揺しそうで、取り戻そうと躍起になってしまった。
 それなのに、何でもいい、俺の事が知りたいと真剣に訴えるから、一度は見せる覚悟をした。瑞希の反応を見てみたい、そんな好奇心も少しはあった。

 あの手紙を読んだら、あいつは何て言うだろう。馬鹿にされる事は…ないと思う。
 同じ十才の頃の自分の事を、話してくれるだろうか?



 それにしても、あんないい加減な手紙が自分を窮地に立たせるなど、思いもしなかった。

 本当は誰にも見せるつもりなんかなかった……見られたくなかったのに、あろう事か机のデスクマットに挟んでいたのを、お袋が宿題と間違えて先生に渡してしまい、それを四年の文集用にと、本人の知らない内にコピーされていた。
 その事実を知ったのは、四年の三学期終了式の日、斜め前の席だった西沢に、文集の中の、俺の書いた手紙の文面を見せられた時だった。

 元本の手紙が、先生の手からコメント付きで俺に帰された時、訳がわからず正直狼狽した。
 理由を聞き出し、家に帰って、生まれてはじめておふくろをひどくなじった。
 嫌な気分、気まずい空気は一週間ほど続いたが、それで終わったと思っていた。

 文集の存在を知り、担任に猛然と抗議したものの、当時四年生の俺の言葉にどれほどの力があるだろう。
 今更作り直せるはずもなく、俺の本心を綴った、読み返すと赤面モノの『手紙』は、未だ四年三組、四十人の同級生の手元に残っているのかもしれない。
 今となっては、そいつらが一日も早くその文集を処分してくれるのを願うばかりだ。



 それはともかく、小学生の時に書いた作文と、この場にいない瑞希に、ほとんど同じ気持ちで打ったホームランだった。

 同じ相手に二度もホームランを願う俺は、精神的な成長があまりないんだろう。
 だが、甲子園で門倉さんの球を打てた事は、俺の中で大きな達成感となって、身体中を満たした。
 瑞希と交わした『五割以上打つ』という県大会からの約束も、どうにか果たせた。
 そう思うと、心の重荷も幾分か軽くなったような気がしていた。



「北斗ォ! お前は偉いッ! 最高だ!!」

 ホームに還ると、先にベースを踏んでいた松谷が珍しく…いや、初めて、俺を力任せに抱きしめてきた。
 その過剰なスキンシップから逃れ、二人ベンチに戻る。途中、次のバッターの山崎が俺に伸ばした右手をパシッと叩き、「頼むぞ」と、後を託した。

 だが、俺が打つとあいつは必ず大振りになる。必要以上に力んでしまうせいだ。
 そんな事を心配しつつも、ダッグアウトの前で仲間の歓迎を受け、今度は俺も少しは余裕を持ってそれに応えた。

 恐らく、すぐ九回の守備に就かなければならない。
 ベンチに身体を投げ出し、例のタオルに顔を埋め、ホッと息を吐いた。

 ……ありがと、瑞希。
 お前のおかげで、甲子園に悔いを残さず済みそうだ。

 瑞希の代わりにタオルをぎゅっと抱き締めて、早々に引き返してくるだろう山崎を予感し、駿のグラブに手を伸ばした。

 残りはあと1イニング。
 駿はまだ病院から帰ってこない。
 これだけ時間が掛かるという事は、やはりかなり酷い状態なんだろう。
 さっきの一打で八対九と、一点差に詰め寄ったが、八回で六人の打者を相手にした俺だ。
 九回、二度目となる明峰のクリーンナップを相手に、自分の投球がどこまで通用するのか、全くわからない。というか通用するとは思えない。
 それでも、この回3アウト取らなければ、試合は終わらない。


「成瀬君、これでラストです。悔いのないピッチング、してきて下さい」
 試合開始直後と少しも変わらない調子で監督に声を掛けられ、顔を上げた。
「マウンドに立った時から後悔しまくりですよ。けど、俺一人で戦ってるんじゃないですから」
 口元に笑みを乗せ、仲間に視線を送る。
 俺の心境の変化を感じ取ったのか、和久井監督の瞳がすっと細められた。
「そうですね」
 短く相槌を打ち、最後の守備に散って行く野手にも言葉を掛けるべく、ベンチの階段に向かう。
 その後姿を目で追っていると、案の定、早々に打席から引き上げてきた山崎が、ダッグアウトの前でレガースを付け始めた。
 それを見てベンチから立ち上がり―――急激な眩暈に襲われ、ふらついた足元に驚いた。

 体力には相当自信があった。
 それでも二時間以上の熱戦、しかも接戦で、身体も精神も想像以上に酷使したせいか、気力体力共に、ほとんど限界にきていた。
 前の席の背もたれに手を伸ばし、立ち眩みが治まるのを遣り過ごす。
 暗かった視界が、徐々に明るさを取り戻していくのを待ち、大きく息を吐き出した。

 大事にならなくてよかった。ここで俺が倒れたりしたら、それこそこれまでの苦労が全部水の泡だ。
 ……誰にも、気付かれなかったよな。
 そっと周りに視線を巡らしてみると、最終回の攻防に向け、みんなの意識はグラウンドに集中している。
 ほっと胸を撫で下ろし、最後の水分補給の為、手元に置いていた自分のバッグを引き寄せた。


 もう何度目になるのか、すっかり慣れてしまった段を上がると、監督に背中を緩く押された。
「行ってきます」と、軽く頭を下げてマウンドに向かう。すると、門倉さんが初めてマウンドに上がった時に近い拍手が、レフトスタンドから起こった。
 唖然とスタンドに目を遣って、深い溜め息が零れた。
 ……何だ、この扱いは。
 さっきのホームランの効果か、それとも八回のお粗末な失投に同情しているのか。何にしても、あまりありがたい拍手ではない。
 門倉さんみたいに、自分の投球を期待されているわけではないとはっきりわかるから、この沢山の声援も素直に喜べない。
 それでも、八回の時より気分は楽だ。打たれても構わないとわかったから。
 今の俺はフィールダーじゃない。バックの守りを信じて、とにかく山崎のミットに、精一杯の球を投げるだけだ。

 八番九番を、意外なほど簡単に打ち取って――当然三振なんてできない。山崎のリード通り、カーブとストレートを織り交ぜ、コントロールを駆使して打たせた結果、八番はショートライナー、九番はライトへの浅いフライで、2アウトを取る事ができた。

 守備陣の好プレーに助けられたわけだが、さすがに優勝候補の一角、たとえリードしていても、相手にも意地があるんだろう、トップバッターに戻り、このまま零点で抑えられたりしないと、当てる事に専念してきた。
 バットを短く持ち、コンパクトに鋭く振り抜く。
 今度は続けてヒットされ、ファースト、セカンドと、あっという間に塁が埋まり、とうとうクリーンナップの三番に繋がれてしまった。

 2アウトは取っている、それに七回裏のバント作戦で、西城の守備力も顕示できたはずだ。バントはないだろう。
 仕掛けるとしたらランナーのダブルスチール、それだけを念頭に置いてバッターに対峙する。

 ここにきて、連打されるピッチャーを相手にすれば、おのずと闘志が沸くのか、バッターが打つ気を漲(みなぎ)らせ、ボックスの手前で気合の入った素振りを繰り返す。

 かなりやばい……よな。
 それでも、投げるしかない。

 九回2アウト、一、二塁。あとアウト一つ。それで俺に課せられた役目は終わる。
 俊足の左バッターを相手に、胸元高めのインコース、ボールになる球で仰け反らせる。
 球数だけは相当投げたせいか、山崎のリードも少しずつ幅が広がり、インコースも要求し始めていた。
 続けて二球目、ストライクを取りにいった球が、相手のバットに捉まった。
 中途半端に上がった打球が、俺の頭上を越えていく。
 センターに抜けたら終わりだ! そう思い振り向いた俺の目が、今日のラッキーボーイ、松谷の好プレーを捉えた。

 セカンドベースの手前で大きくバウンドした球の次の落下点を松谷が正確に読み取り、体勢を崩されながらもベースのかなり後方で後ろ向きに捕球した。
 攻守共に大健闘だ。ところが――

 振り向いた松谷の右腕が、ボールを掴んだまま、投げずに止まった。
 セカンドとショートの守備範囲の中間だった為、俺に代った迫田先輩のセカンドベースに入るタイミングが遅れていた。
 コンマ数秒の差で、ランナーが滑り込んで来る。同時に迫田さんがベースに入った。
 だが、そのタイミングではもう間に合わない。わかっていて松谷が迫田さんにボールを投げた。

 俺は、一歩も動けずに、その光景をマウンドから見ていた。

 いつもの松谷なら、俺がベース上にいなくても迷わず投げていた。俺と二塁ベースとの距離を瞬時に把握して、ベストのポジションに。
 ミスすれば危ないプレーだが、俺達には絶対の自信がある。
 それが俺と松谷とのコンビネーション、二人で築き上げたセカンドの砦は、言い換えれば西城の守備の要だった。

 なのに、相手が変わった事で、松谷にためらいが生じた。

 迫田先輩との連携プレーなんて、ほとんど練習していない。何の確証もなしに、誰もいないセカンドになんか投げれない。
 俺の不在を意識した事が、逆に動きを制限してしまった。
 セカンドに拘らず、割り切って一塁に投げていれば、松谷ならアウトにできたはずだ。
 思い上がりなんかじゃなく、俺がいつも通りショートの守備に就いていたら、松谷が捕球した時点でダブルプレーも可能な打球だった。
 それが、悔しい。
 元を返せば、俺がスランプになんかなったのがそもそもの発端。だから、松谷の動きを封じたのは俺自身。

 こんな場所で、手足をもぎ取られたような松谷を見るなど、試合前には思いもしなかった。
 今日の俺の、一つ一つのプレーを気に掛け、励まし、支えてくれていたのに。

 いつも明るい松谷が、ほんの一瞬悔しさを滲ませ、握り締めた右手の拳。
 それが、まるで自分の心臓を掴まれたような息苦しさになった。

 ……胸が痛い。痛くて堪らない。

 迫田先輩に声を掛けられ、拳を解いた松谷が、帽子を取って額の汗を拭う。
 同じく、先輩からの返球を受けた俺は、その松谷に気を取られ、声を掛けるタイミングを逃していた。

 誰が悪いわけじゃない。
 ただ、全体の歯車が少しずつ狂い始めていたのに、ようやく気付いた。
 どこかぎこちなく、よそよそしい空気。

 このままだと、七回表の敵のビッグイニングの再現になりかねない。そう予感させるには十分の、焦りと苛立ちだった。




 2アウト満塁。ボックスには四番室生さん。絶体絶命のこのピンチ。
「打たれてもいい」、なんて言ってる場合じゃない。

 十二才の、中学一年の時の俺なら、代りに投げる、それだけでよかったかもしれないが、あれから四年も経った。
 野手に守られるだけでいいなら、俺自身、あの頃と少しも進歩がないじゃないか。
 たとえピッチャーを退いたとはいえ、こんなに連打されていいわけないだろッ!!


『―――お前のは打ち頃だ』


 加納の大切な相棒 梛の、思い出したくもないムカつく声に、後頭部を殴りつけられた気がした。

 何で!?
 こんな時に、一番忘れたいあいつの言葉なんか思い出すんだ!!

 一刻も早くその記憶を消し去ろうと、ぶんぶん頭を振る。それなのに、

『だから、ピッチャー辞めたって言ってるだろうが』

 墓穴を掘る、自分の後ろ向きな発言まで思い出してしまった。

 ……もう駄目だ。忘れようともがけばもがくほど、余計あれこれ思い出し、深みにはまっていく。

 諦めて、ハッと短く息を吐き出した。
 どんなに片意地を張ってみても、自分の弱さを認めるしかない。

 そうだ。だから、ピッチャーを辞めたんだ、俺は。それを関が無理矢理……


『違うな、―――で投げろ』


 ―――え、

 ……何だ? 今の。


 散々浴びせられていた罵倒とは明らかに違う、梛の本音。
 俺は、それを確かに聞いている。

 あの時、梛は何て言った? そして俺は、何と答えた?

 あいつの言葉は容赦ない。だが、俺を侮辱したわけではなかった。
 意味もなく人を傷付けたり、陥れたりしない。正々堂々、面と向かって――とは、俺があいつらを見て、話して感じた事だ。
 その自分の直感を信じる。

 あいつは、俺を遥か先の高みへと誘(いざな)っていた。
 あの時も、人の気にしている事を、あまりにもずけずけと抉り出す梛に腹が立ち、最後は卑屈になって、わざと聞こえない振りをした。
 けど、今必要なのは、俺を認めてくれていた加納の甘い言葉じゃない。あいつの相棒の、辛辣な本心。


 思い出すんだ、あの時の梛とのやり取りを。俺にぶつけてきた、容赦ない台詞を。
 このピンチを乗り切るヒントが、あの会話の中に必ず隠されている。
 梛が俺に望んだ、自分でも気付かない力。
 それを信じ、見つけるんだ。




 一週間前の公園でのやり取りを思い返しながらも、打者への投球は続く。

 ここにきて山崎が初めて二球続けてボール球を要求した。当たってもヒットになりにくい、俗に言う『臭いところ』というヤツだ。
 室生さんの巧みなバッティングの悪影響か、山崎のサインも弱気になっている。それに山崎以上に、堂々とストライクを取りに行くほどの度胸は、俺にもない。
 だが、逃げ腰での駆け引きに容易く引っ掛かる相手ではない。
 一球はボールを見極められ、もう一球は、あわやホームランかという当たりが、レフトスタンドぎりぎりで切れた。

 1、1のカウントで三球目。このままずるずる投げ続けるのは、さすがにまずい。
 半分時間稼ぎの為、ロージンバッグを拾い上げ、頭をフル稼働させて記憶を辿った。


『今の成瀬に投手としての価値なんかねえ事を、確かめたいんだよ』

 それが、あいつの暴言の始まりだった。

『別にコース突かなくたっていいんだぜ』

『ボール走ってねえぜ。そんなじゃ一晩中投げても、一聖は納得できねえな』
『勝手な事言うな! これでも精一杯、なんだよ』
『そうかあ? わざと手抜いて投げてんじゃねえのか』
『そんな真似するか』
『これくらいなら中坊のが、もっといい球投げるぜ!』

 そう、言った。

『お前のは打ち頃だ。バッティングピッチャーに向いてんじゃね?』
『だから、ピッチャー辞めたって、言ってるだろうが』
『違うな』

 そうだ、あの時だ! 
 痛い所を容赦なく突いてくる梛に、言い返した後だった。

『一聖が見込んだほどの奴なら、自分の意思で投げろ』

 マスクも被っていない精悍な顔を真っ直ぐ俺に向け、言い放った。

 思い出した。
 けどそれは、キャッチャー任せにせず、俺の意思―自分で組み立て、考えて投げろ、という意味だと思っていた。

 だが、もう一つ、ある。

『意志』だったとしたら?

 ――目的を実現させる為に、自発的で意識的な行動を起こさせる、内的な意欲――

 辞書を引けば、そんな事が書いてあるはず。要するに気持ちの問題だ。

 その可能性を考えて、「あっ!」と、短く声を上げていた。
 これまでの俺にはなくて、今、この場に必要なものを、あの後、図らずも加納が口にしていたじゃないか。

『ピッチャーとしての気迫が足りない。「打たせるもんか」っていう、相手を威圧する気迫』



 あの時、梛は俺に、それを見せろと誘っていたんだ。
 その事にようやく気付き、知らず笑えてきた。

 ……なんだ、そうだったのか。
 加納も梛も、結局は俺に同じものを求めていたわけだ。

 ったく、あいつらには参る。
 それだけの為に、あれだけの罵詈雑言を投げつけたのか?
 あんなに強引に引き上げられたら、普通の奴には堪ったもんじゃない。
 俺の心臓は鋼(はがね)でできている、とでも思っているんだろうか。もしそうなら、買いかぶりもはなはだしい。

 だが、そんなものが本当に俺の中にあるなら、今ここで全て使い切ったって構わない。
 これ以上、西城の傷口を広げない為にも、明峰のランナーにホームベースを踏ませるわけにはいかない。


 山崎を、キッと見据えた。

 お前は本当にいいキャッチャーだ。だから、取ってくれるよな。

 打てるものなら打ってみろ! 誰にも投げた事のない、制球を無視した俺の全力投球だ。


 自然に、振り被っていた。

 バッターもランナーも、頭から消えた。

 見えるのは、約二十m先の山崎のミットだけ。

 左足を上げる。

 甲子園のマウンドに、そのスパイクの金具がしっかり突き刺さった。


 何も心配要らない。

 最高のマウンドで、制服でも、スニーカーでもなく、ベストの状態で投げれる。
 自分の全ての力を、この球に、託す。


 今までになく、ボールに体重が乗ったと感じた。
 ほぼ同時に、「バンッ!!」と、自分でも聞いた事のない音を聞いた。
 重く響いたそれは、高目ぎりぎりに決まった。



 ―――梛、加納、見ているか? 

 お前らの期待していた球に、少しは近付いただろうか。



 目に見えて変わった俺の投球に、ミットからボールを取り出した山崎が、意外にも一言も声を掛けず、ボールだけ投げ返した。
 四球目のサインを一応確認して、頷く……振りをする。後を考えない力一杯の投球は、自分にもどこに行くのかわからない。
 春先に、西城の河原で初めて投げた駿もそんな事を言っていたが、あの時の駿とは比べ物にもならない。だから全部ストライク、ど真ん中で行く。

 再び振りかぶって投げた球は、今度は一バウンドで山崎のミットにかろうじて納まり、自分が投げたにも関わらず、驚きに目を瞠った。
 あいつ、凄い! 
 後逸してたらやばかった。そう思うと、言葉では言い表せない安心感が、俺の中に生まれる。
 グラブを掲げ相棒に詫びると、マスクを外し脇に抱えた山崎がいつもの不敵な笑みを浮かべ、手の平で拭いたボールを俺に投げて寄越した。

 いい顔、してる。試合開始の時以上に楽しそうだ。
 あいつのサインを無視しているのに、俺の全力投球は、幼馴染の心にもしっかり響いたみたいだ。

 ありがとな、孔太。おかげでためらいなく投げられる。


 カウントは2ストライク、2ボール。
 五球目、六球目、七球目。
 いつの間にか、カウントは2―3。後がなくなる。

 全部同じ所に狙いながら、この定まらない球をちゃんとバットに当ててくる室生さんには、正直敵わないと思いかけていた。
 だが、自分もこんな投球ができるとは知らなかった。

 打たれた後の事なんか考えてる余裕もない。けど、いい。後悔はないよ、瑞希。
 俺、お前にも加納達にも恥じない試合ができた。十分満足だ。
 だけど、ごめんな。もう、次に投げる力なんか残ってない、残すつもりも。

 これで最後だ。ヒットされるか、フォアボールか。どっちにしても、これで決まってくれ。

 祈るような気持ちで振りかぶった。その時、
「成先輩! あと一人ッ!!」

 ベンチからの大声に、弱気になっていた胸の中のもやもやが、いっぺんに吹き飛んだ。

 駿だ! 駿が帰ってきてる!!

 自分の中に、信じられないほどの高揚感が生まれる。
 たった一人の出現で、限界寸前だった気力が揺り動かされ、一気に覚醒させられた気がした。

 この一球。

 これで、俺の役目は終わる。
 なら、力の限りの球を、お前のミットに―――届けッ!

 想いと共に、腕を振り切った。


 ストライクゾーンの中心に構えた山崎のミットが、少しも動く事なく歓喜に鳴った。
 刹那、

「っしゃーッ!!」

 空振りした室生さんを目の前に、右拳を突き上げ、自分でもわからない雄たけびを発していた。


 こんなに感情をあらわにした事など、今まで一度もなかった。
 もう本当に思い残す事、何もない。マウンドに上がる事も。


 嬉しくて……というよりほっとして、力尽き、そのままマウンドにくずおれそうになる。

 駆け寄ってきた松谷に身体を支えられ、どうにかベンチに引き上げた。



 レフトスタンドからの拍手が鳴り止まない。

 俺に課せられた役目は、終わった。







 ―――聞こえているか? 梛木、加納。

 この拍手は、お前らのものだ。

 ものすごく不本意ではあるが……この回、二人に助けられたよ。





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