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作品名:老人と私 作者:chihiro

第8回 虚しい未練の風吹く街
結の坐骨神経痛暦は短いがそれ以前に変形膝関節痛を持っている。プライベートでもすっかりと左足にサポーターをすることが当たり前になってしまっていた。膝にはサポーター、腰には腰痛防止ベルト、まさしく重装備で毎日を暮らしている。それでもよくなることはなく、動かないといけないために装備をしているという感じだ。しかしその日はそれだけでは足りないような気がしていた。
毎朝計る体重も何もなかった前日までとあまり変わらない。痛み止めの薬もちゃんと飲んでいるし、家にいるときは疲れを感じたらすぐに横になれるように注意を払っている。しかし左足がいつもよりもむくみ、足を動かしたときに痛む感じがいつもと違うのだ。結は左足をじっと見つめた。見たらレントゲンのようにすぐにわかればいいのにと何度思ったことかわからない。
いつもの時間に家を出るためにリビングから立とうとしたときだった。右足も力が入らなくぼろぼろになった足で自分の体重を支えきれなくて転倒してしまったのだ。
少しでも動かすと激痛が走る。十センチメートルも離れていないトイレにも二十センチメートルも離れていない机の上においた携帯電話もとるのが難しい。結は何とか体を這わせてでも携帯電話を取った。まずは自分が登録している派遣会社に連絡を取る。そして担当者から自分が行っている施設の電話番号を尋ねて担当者とほとんど同じような内容を話して欠勤の通知をした。
(さて、駅前にある整形外科に果たしてどのくらいでつけるだろう。)
そう思った結だったが腰が上がらない。仕方がなく緊急電話を検索して電話をかけた。
それでもセキュリティが万全のマンションに入るには二番目の扉を開錠しなければいけない。自分の玄関の扉だって同じことだ。救急車が来るまでのわずかな時間で鍵を開けなければいけない。結は激痛に耐えながら壁や置かれてある家財を頼りに何とか立つことが出来た。ちょうどそのときに救急隊員が下についたとインターホンがなる。結は自分の玄関の扉を開けるのにしばらく時間がかかることを断って鍵を開けに玄関に向かう。何とか自分の家の扉を開けて救急隊員の顔を見たとたんに気を失った。

結が目を覚ましたときは周りが白だらけで味気ない病室の中だった。気がついて初めに思ったのは現在の時刻は何時だろうということだった。しかし回りに時計らしきものは見当たらない。次に思ったことはここに長居しなければいけないのだろうか?という不安だった。それは医師、看護士が来たらわかることだ。結は自分の体を動かそうと試みた。しかし固定されているらしく動かない。
(長居しなければならないのならば薬を服用することによって自分の命を削れないかしら?)
ほとんどの薬は人体にとって安全なものなどはなく、長期間服用すれば命を落とすリスクが大きくなるとどこかで読んだからだった。
(それならそれでいいじゃない。私にやっと運がめぐってきたのかもしれない。)
そう思いながら虚しい今までの人生を思って哀しい気持ちになった。
(私の人生ってなんだったんだろう?何の使命をもってこの世に生まれてきたの?そしてこのまま命を落とすならその使命は達成できたってことなの?何もしてない。何が使命だったのかもわからない。何一つわかることなんてない。)

「岡本さん、気がついたんですね。私はあなたの担当医の斉藤といいます。」斉藤は結に向かって微笑んだ。
「先生に聞きたいことが山ほどあります。私は身動きが取れないんだけれど何のためですか?」
「まあまあ、そんなに慌てないでくださいよ。今から説明します。そのために私はここに来たのですから。」斉藤は壁際にあった椅子を持ってきてベッドの近くに置き座った。「
今までよくその状態で動けましたね。仙骨、骨盤のあちこちに骨折が見受けられます。職業はなんですか?」
「介護職です。」
「残念ですけれど介護職はもう出来ないでしょうね。まずは骨折を直すのが先だ。」
「どのくらいかかりますか?」
「どのくらいかかるのかは岡本さんの体次第です。」
「寝たきりになるってことは?」
「ありえます。」
「だったら死なせてください。」
「穏やかじゃないな。そんな大切なことを即答で答えることはありません。」
「入院費用なんてありませんから。誰が出すんですか!」
「ご家族は?」
「いません。」
「友人は?」
「親しい友人はいません。私は一人です。」
「わかりました。では病院側で市の福祉課に聞いてみましょう。だからあなたはお金のことは考えなくて大丈夫です。」
「さっきからトイレに行きたいんですけれど・・」
「骨折している状態でトイレには行けません。大丈夫ですよ。おむつ着用していますから。他に聞いておきたいことってありますか?」
「もし病院に長期入院するのであれば家のこととか、着替えとかいろいろと相談したいのですけれど。」
「本当に着替えや家のことを面倒見てくれる友人っていないんですか?」
「いません。だから個人的に市の相談コーナーに連絡したいんです。」
「わかりました。すぐに連絡をとってきてもらいましょう。」斉藤はそういうと結の病室から出て行った。

一人になった結は静かに泣いた。自分の望むことはすぐそばまで来ているのにそれが出来ない歯がゆさ、何故救急隊員を呼んでしまったのかという後悔が結を覆った。
「哀しい未練が風吹く街・・」結はホーム「やすらぎ」で出会った人たちとの話を思い返してみたが記憶が曖昧になってしまって誰がどんな言葉を言ったのかすでにわからなくなっている。結はすぐに誰が何を言ったかなど自分にとっては意味のないものだと気がついた。固形物も流動物も受け付けなくなったのでかろうじて点滴でこの世にしがみついている。腰を固定されているので小水もバルーンで取っている。世話をしてくれる介護の人たちは一応に優しかったがそれは仕事だからやっているのであって本心から介護しているわけではないことは自分が介護職をしていたのでわかる。結が誰にも話しかけたりしないので担当医師や介護職の人のおざなりの挨拶だけを聞くだけだ。


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