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作品名:老人と私 作者:chihiro

第4回 人は嘆き、はかない現実から身を投げた
石崎奈美子はいつでも自分の世界に入っている人だった。朝、起こしにいくと涙を浮かべる。そのときに決まってわからない言葉で何かを言う。
(ああ、この人はまた目が覚めてしまったことを後悔しているのだろう)と結は思った。
結は奈美子の心情を心から賛同した。
夜、寝ている間にひっそりと人生を終わらせたらどんなにいいことだろう。体の節々が痛み、自分の心情をわからないものにあーだこーだときつい言葉を投げられどうして今日も一日を過ごさなければならないのか。友人や知り合いの多くは先に逝ってしまった。何故自分だけこの世に残って生き地獄を体験しなければならないのだ。
「今日も一日がんばりましょう。」その言葉のどこに真心があるのだ。人間はうそをつく。
言った本人も聞いた者たちもそれが嘘だとわかっているのに誰も指摘しない。見せかけ、建前、嘘の人生、嘘の社会、本音を言わないことが美学とされている。
結は奈美子の介助をすることが多かった。自分で食べる意思を持たない奈美子の食事介助をする。
「奈美子さん、ご飯食べましょう。」「奈美子さん、今日のおかずはビビンバですよ。」
そういっても奈美子が食べられるのはミキサーで切り刻み影も形もない食材ばかりだ。スプーンですくって口に入れる。味をかみ締めて食べているとは言いがたい。
結が受け持っている一階のホーム利用者の中で奈美子よりも重症でベッドから離れられないものもいるがそれでも食事介助をすると「ありがとう」とコミュニケーションが取れるものもいる。
奈美子の場合、車椅子に身をちぢこませ目を開いてテレビを見ることもなく、当然のことながら他の利用者と話をすることがない。家族の人は定期的に面会に来ているらしいが他のワーカーから「お孫さんと会えてよかったね。」とか「来週も来てくれるといいね。」などといった明るい励ましの言葉を聴いたことがなかった。
(ずっと一人ぼっちで哀しいな。自分がなりたくてなった状況じゃないのに。)

いつものように結は奈美子の食事介助をした。その日の奈美子は声を出す元気があるらしく言葉にならない言葉を発している。ただなんて言っているのかわからない。同じ言語を使うもの同士なのに気持ちが伝わらない。結は想像を膨らませて奈美子が伝えようとしていることを思い巡らせた。
「どうしていつも怒っているの?」突然結の耳に鮮明な言葉が現れた。
「私が怒っている?まったくそんなことないですよ。怒って見えていたならごめんなさいね。」
ろくに奈美子は結の顔を見ていたわけではない。しかし奈美子は感じ取っていたのだろう。いつでも結は心から笑っていないこと。表面ではなく奈美子は結の心を見たのだ。
(彼女は目をつぶっていても人の内面を見られるんだな。そして自分と同じ状況の人ではなく自分ではつかめない光や希望を相手の内面で見つけそれに近づこうとしているんだ。まだ夢を捨てちゃいない。生きる望みを捨ててはいない。)

でも、何故夢を捨てないのか、生きる望みを捨てないのか、その答えが見つからない。
結はいつでもその質問に舞い戻ってきてしまう。
私は何故夢を持てないのか、生きる望みをもてないのか。
病気になって医者は患者の言うことを聞いてくれない。十年以上も鈍痛を持ってモチベーションが下がりっぱなし。誰かの必要とされていないのならこの世にいないほうがましだ。と短絡的に考えてしまったのが夢をもてなくなった、生きる望みをもてなくなった理由だとしたら可哀相なのはこのホームを利用しているものではなく、どんなにきつい仕事でもがんばって他人のために尽くそうと努力しているワーカーではなく、挫折してしまった自分。

翌日の昼食時のことだった。奈美子は他のワーカーに食事介助をしてもらっている。急に咳き込んで口に入れたものを吐き出してしまった。嚥下障害だ。嚥下障害とは食べるとむせる、形があるものを噛んで飲み込めない。食事に時間がかかり食べると疲れる、食後に痰が出るなどで奈美子の場合は加齢による機能障害だった。嚥下障害防止のために毎日朝と昼には嚥下体操なるものをしているが奈美子はホールで食べているわけではないので体操をしたことがない。ホールで嚥下体操を参加できる利用者もちゃんとやっているものはいない。ゆっくりの体操でもそのスピードについていけないのだ。どれだけの人が自分の体力に向き合いあきらめていることだろう。体の機能が低下するとはあきらめを素直に受け入れなければいけない。そんなことと生きる望みを捨てることは同じようで同じでないことも結はわかっているつもりだが本当は違うのかもしれないと奈美子の嚥下障害を見ながら感じた。
「今日も一日がんばりましょう。」結が嚥下体操を受け持ったときに必ず最後に付け加える言葉だ。それは利用者に対して言っているのではなく自分に対して言っているのだとうすうす感じていた。
何をどうがんばればいいのだろう?違うところで誰かがそう問いかける。若いときは生きる意味など考えなくても勢いでその場を偲んできた。病気になって医者にそっぽを向かれて自分の生きる意味を考えるようになった。それは何のメッセージなのかいまだにわからない。それがわかったら死ねるのだろうか?
病院で介護職についたとき、みんなに笑顔である程度のことは自分でやっている百歳になる老女を見て自分の疑問がさらに深くなっていった。
「生きるって何?」「死ぬって何?」「人生って何?」


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