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作品名:老人と私 作者:chihiro

最終回 どうぞこの胸に眠れ子守唄
結はリハビリをすることは出来なかった。骨折の具合を見ようとレントゲン検査をした結果靭帯が破損しているとわかったからだ。せっかく久しぶりにポジティフな気持ちに慣れただけに結の落胆は目に見えてわかった。
「今は時期じゃないってことよ。」茂子は結を慰めた。「あなたは病院にいる。病院は治療する機関。つまり今悪いところを徹底的に治しなさいっていうこと。」
結は何か言おうとしたが頭が混乱して言葉が出てこなかった。茂子は続けた。
「あなたがネガティブになった原因の医師が自分を治療しないというのはもうクリアしたわよね?病院の人だけではなく市の福祉課もあなたを何とか普通の生活に戻そうと努力している。大きな都市で国からもらえるお金って大きいけれど、他にも経済的理由で満足な治療を受けなかったりしている人がいるわ。」
「そういうところは感謝しています。私みたいな人間にお金を使ってくれるのはありがたいと思ってます。放り出されて野良死にしてもかまわないのに。」
「命は命ですもの。それに人は助け合って生きるもの。前々から聞きたいと思っていたの。どうしてそんなにネガティブな考えを持ち続けられるのか。あなたから聞いたほとんどはクリアしていると思うの。ただ今は結果が出ていないだけの話。今あなたは谷底にいるのよ。後は上がるだけじゃない。そういう環境にもいるし。」
「私は介護職を通していろいろな人に何故ポジティフになれるのかを尋ねました。言葉は理解しても意味が理解できない。ううん、理解しようとしない自分がいることに気がついています。」
「何故理解しようとしないの?」
「十年以上も死にたいって思ってそれが当たり前になったから。そのことだけしか考えなかったから。この歳から何が出来るのかわからないから。」
「わからないから人生なんだと思うわ。確かに十歳代、二十歳代よりも夢の選択は狭まってくると思うけれど。」
「私と話をしてくれたすべての人に感謝しています。病人でも健康な人でも他の人との会話はヒントや答えが潜んでいるってわかりました。でもそれでもこの世からいなくなりたいという気持ちのほうが強いんです。かといって自殺をするほど勇気がありません。毎日ぐだぐだいって前に進もうとしないこともわかっています。今の正直な気持ちは死を待っているってだけなんです。」
「あなたの人生だから私たちは誰もあなたを責めることは出来ないわ。いろいろな人の意見を聞いてそれであなたが決めるのであれば誰も口出しできない。でもね、病院にいる限り死を待っているってのはあなたの場合はあまり可能性がないわよ。」
「それもわかっています。だから哀しい気持ちになっているのかもしれません。」
「この病棟の三階に小さな図書室があるの。そこにはいろいろな本があるから読みたいジャンルの本があれば持ってきてあげるわよ。今まであなたは直接人から話を聞いていたけれどあなたの役に立ちそうな本だってあると思うわ。」
「ありがとうございます。体は動けなくても目と頭は動けるから読書をするのもいいかもしれませんね。」
「さて、私はあなたに少し仕事をしてから退散するわ。」そういうと手際よく排泄介助を終わらせて病室から去った。

数時間後、茂子は数冊の本を結のベッドサイドに置いた。意図したものなのか結はわからなかったが持ってきたすべての本はいろいろなジャンルの生と死がテーマの本だった。結は今まで求めていたものが読書であるかのように活字をむさぼった。そして読み進めていくうちに今までの考え方は間違っていなかったこと、死に興味を持つようになってからずいぶんと自分らしさの生きかたも変わってきたことにたどり着いた。
(小さな幸せと死に対する憧れを大事に持っていよう。そうすれば必ず訪れる。)
結は久しぶりに心に平穏が訪れたような気がした。
(子守唄ってどうして心が休まるんだろう。)
結は子守唄らしき歌を思い出そうとしたがなかなか出てこない。それは結の心がささくれ立っているからだと気がつくのにたいして時間はかからなかった。
読書を刷るようになってから結は寡黙になった。それは本に心を奪われたからではなかった。生とか死とか考えることをやめたためだった。起きてもいないことをいちいち考えたり悩んだりすることが億劫になってきたのだ。人の目には以前よりも寡黙になったのは本に夢中になっているからだと写っていた。
しかし毎日のように結の様子を見ている茂子と医師の斉藤だけは結が以前よりも元気がなくなってきていることに気がついていた。特に斉藤は結の毎日のカルテで高血圧がさらに上昇していること、血液障害が起きているためのむくみが手足に明確に出ていること、痛みが伴っているはずなのに何も不満を訴えないことがとても気になっていた。

(どこからかラジオが聞こえる。あの歌は子守唄だろうか?とても心に優しく響いてくる。哀しいけれど心に浸透してくる。)
「どうぞこの胸に眠れ子守唄」
結は一筋の涙をこぼした。その涙はこの世に生まれた自分を哀れんでの涙だった。
結は目を閉じた。そして二度とその目を開けることはなかった。

終わり


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