小説&まんが投稿
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:老人と私 作者:chihiro

第10回 情に流され溺れてばかりじゃこの世に生まれた甲斐もない
結は死んでもいいと本気で思った。ただ寂しくてやりきれなくて孤独という嵐に飲み込まれてそれでも死ねない自分を恨んだ。
宮元の死から二ヶ月の時間が経過していた。食事もろくに取らずリハビリテーション科に行くのも極端に減った。もちろん自分で動くということもしなかった。医師や看護士、介護士はそんな結を見守っていたが誰も何も言うことはなかった。
そんなある日、結よりも明らかに年配だと思われる介護士がやってきた。
「やっぱりそうだ。岡本結さんね。私のこと覚えてる?吉田茂子よ。」そう名乗った女性に見覚えがあった。結が病院で介護をやっていたときに一緒だった女性だった。
「この病院に入院したのね。今日から私もここに勤務なの。あの時はあまりおしゃべりできなかったけれど今度は介護する側と介護してもらう側としてびしびし意見を言わせてもらうわ。」
吉田茂子はとっくに定年に達している年齢だったが、住宅ローンが残っているためにそれが楽になるまで働いている女性だった。
「お手柔らかにお願いします。」
「あなたの病状を見させてもらったわ。糖尿病はだいぶ良くなっているのね。食事を取っていないから?」
「何を食べてもおいしくないんです。せっかく作ってくれているってことはわかっていますけれどでも食べる気持ちが起きなくて。水分だったらどんな味でも大丈夫なんですけれど。」
「たとえ青汁でも?」茂子はそういって小さく笑った。
「我慢して飲んでいました。」
「わかったわ。あなただけ特別ってことは出来ないでしょうけれど、なるべくあなたの希望に沿った食べ方を調理科に言っておきますね。骨盤の骨折はもうとっくに固まっているわ。だから本当ならあなたは動けるはず。天井ばかり眺めていないで他の景色を見ましょうよ。」
「見たくないんです。生きている意味が見つからない。」
「人間なんてみんなそんなものよ。あなたはまだそこに気がついただけ幸運な人だと思うわ。それに情ばかりに流されていたのでは生きている甲斐もないでしょう?そもそもあなたがそんなふうになった原因は確か・・医者が自分の意見を聞いてくれないってことだったわよね?」
「そうです。膝が痛いのに、腰が痛いのに違う病気ばかり取り組んで。」
「病気になるのはひとつの原因からじゃないことはあなただって理解しているはずでしょう?」
「それは知っています。そして医者は違う病気ばかり取り組んでいるのは根本から治そうとしていることも知っています。ただ私が意固地になっているだけの話しです。」
「だったらもう問題が解決しているじゃない。」
「茂子さんはそう思いますか?」
「もちろんよ。腰の骨折だってちゃんとケアしている。あなたがやっていることはかまってちゃんと同じようなことよ。でも生きるということがどんなことなのかを学ぶためにそうなったとしたらそれはそれであなたも勉強したわけだし幸運なことだと思わない?」
「茂子さんに夢や希望ってありますか?」
「もちろんあるわよ。他人にとってはくだらない夢や希望かもしれない。でも人は人、私の人生なんだから誰にも文句は言わせない。ちなみに私の夢は今払っているローンの家でゆっくりとガーディングをすること。ゆったりとした時間の中で子守唄を聞きながらあの世に行くこと。どう?こういうのだって夢や希望に入るのよ。」
「素敵ですね。」
「あなたの目下の目標は体を治して筋肉をつけて元気になること。そして働いて悩んで自分なりの夢や希望を見つけなさい。人間は他の動物と違って寿命が長いし悩むことが出来るし自分なりの人生設計を作れるはず。せっかくもらった命なんだから活用しなくちゃ。」そういって茂子は微笑んだ。
「私は間違っているのでしょうか?」
「間違っているとは思わないわ。生きる意味を考える人ってあまりいないから。なんにしてもあなたは幸運な人だと思うわ。世の中には生きたくても生きられない人がいる。何も考えずに人生を終わりにする人もいる。」
「私はずっと子供のころから自分に自信が持てないんです。怒られてばかりで自分で自分を卑下するところがあって。」
「あなたには私に出来ないことがたくさんあるわ。別にみんなと同じじゃなくたっていいじゃない。あなたはあなたなんだから。何歳だからこういうことが出来て当然だって気にしなくていいわよ。あなたが出来ること思い出して御覧なさい。そして自信がなくなったときはそれを思い返してみるの。別にそれで生計を立てろというわけじゃないわ。みんなそれぞれ得手不得手があるもの。たとえば介護のことだって排泄介助は得意じゃないけれど入浴介助は得意だという感じに。とにかく私の言ったことを全部じゃなくていいから思い出してみて。精神的に苦しい人は嫌なことばかり考えちゃうもの。でもそれだと余計に苦しくなる。だから自分のことを考えて。戦争ってどの時代からでもおらが一番を主張してそれを証明するためにどんぱちするのだと思うの。そこまでやらなくてもおらが一番って思うことはいいことだと思うわ。あなたは基本的に優しい人なのよね。だからおらが一番が出てこない。」
「小さいころからお前はだめな子だって言われてきたから、茂子さんが言うようにおらが一番なんて思ったことなんてなくて・・」
「今から思えばいいじゃない。さっきも言ったけれど人それぞれ何かを学ぶタイミングは違うはず。今からだって遅くはないわよ。」
病室の外から誰かが茂子の呼ぶ声が聞こえてきた。茂子は慌てて結に軽く肩を叩くと急いで病室の外に出て行った。
(私に出来るかな?もしそれが出来たら私のこの世での任務って終わるのかしら?)

結は翌日斉藤医師が往診に来たときにリハビリを始めてみようかなと申し出た。斉藤は何も言わずに黙って結の肩を叩いた。病室を出るときの斉藤の足取りはいつもにも増して軽くなっていたことを結は見逃さなかった。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 小説&まんが投稿屋 トップページ
アクセス: 199