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作品名:薄命世代 作者:ゴーストライダー

第2回 2


   同化


「なに、高坂(こうさか)が死んだ?!」
 受話器を握る友人からの怒声で、察しがつく。
 ああ、同級生だった高坂が死んだんだな、と。
 思えば、高校の時から内向的なやつだった。
 一昨年の夏に大学を中退して、ひきこもり生活を続けていた。
 そして、とうとう死んだか。
 朝の通勤電車に、その身を投げて。
 電車への投身自殺は、家族に膨大な請求が行くんだよ――
 そう教えてあげようと思っても、高坂はもういない。
 薄命(はくめい)世代(せだい)が、また一人減った。

 僕らは薄命世代。
 誰よりもガラスの心で。
 誰よりも死に近い。

 僕らは薄命世代。
 生きることに不器用で。
 不毛な足掻きを続けるだけ。 

 僕らは薄命世代。
 明日には誰かが死んで。
 明日には、誰かが生きるだろう。


   融解


 秋田(あきた)幸司(こうじ)は、部屋の隅でガクガクと震えていた。
 まるで雨の中に置き去りにされた、童子のように。
 頭を抱えて、三角座りの姿勢で。
 全身を戦慄かせて、恐怖している。
「もう嫌だ……なんで高坂まで死ぬんだ……」
 秋田は、僕が高校生の時の同級生だ。
 国家公務員を目指して試験勉強に邁進する、有名な難関校、北海道都学園大学の学生だった。
 去年の春先に、大学生になってからの派手な淫蕩生活が祟って、退学が決定していた。
 東京に戻って来たが実家には帰れず、宿に困っていたため、僕の家へと転がり込んだんだ。
「なんで俺らの年代ばっかり、死んでいくんだよ……なんでだよ……」
 秋田は、見通しのきかない暗い未来に、怯えていた。
 手で掻き分けても、光を灯してみようとしても、決して見えることのない、道。濃霧のような闇が囲っている、現在の状態に。
 奥歯をカチカチと鳴らしながら、口端から呪詛のような文句を漏らしている。
 でも、それも当然のように思えた。僕らの同級生が、次々と消えていっているのは事実だから。
 篠木(しのぎ)中央中学校、二〇〇三年度新入生。
 僕らの学校は私立で、中高一貫だった。だから中学の頃から生徒が変わらず、いつも同じような顔ぶれだった。
 その中学一年生の年代を、当人である僕らはこう呼んでいる。
 薄命世代。
 在学当時は、至って普通の学年だった。おとなしく、特に問題も起こさず、あったとしてもせいぜい男子生徒同士の喧嘩や軽度の虐めぐらいで、校長からも覇気に欠ける学年という烙印を押されるぐらいの、模範的な生徒達だった。
 それなのになぜか、高校卒業後に、続出している。
 僕らの世代からの、死亡者が。
 人生からの脱落者(ドロップアウト)、事故死、自殺者。
 死の匂いが、常に僕らに付き纏(まと)っているかのようだ。
「俺は、どうすればいいんだ。俺らは、どうやって生きていけばいいんだよ……」
 僕は、秋田の懊悩に答えようとしたが、ピタリとやめた。彼の発言が、あまりにも抽象的すぎて。まるで返答の言葉が、口の中で気化したようだった。
 代わりに僕は、壁の長押(なげし)に引っかけたハンガーから、グレーのオーバーコートを取り外した。袖に腕を通し、外出の準備をする。
 そして廊下の敷居を跨いで玄関に行こうとすると、頭を抱えていた秋田が、驚いたように顔を上げた。涙が淵に残る目を、大きく開いている。表情からは、焦燥が色濃く滲み出ていた。
「おい、小泉(こいずみ)。お前、まさか……またあいつらのところに行くつもりじゃあないだろうな」
 何も言わずに、自分の部屋を後にする。
 篠木中央中高、高坂、秋田、静観(しずみ)、二ノ宮(にのみや)先輩。
 同じ薄命世代の僕にとって、これだけが唯一できる贖罪のように思えた。
「行ったって、無駄だぞ! 現に高坂だって、死んじまっ……」
 アパートの扉を、閉めた。
 鍵は、秋田が中にいるから掛けなくていいだろう。
 冷たい風が、全身に吹きつける。思わず、身を萎縮させた。
 コートのボタンをいくつか留めて、白い毛糸の手袋に指を入れる。
 アパートの錆びた階段を降りるたびに、ぎしぎしという音と共に軋んだ。
 視界を上に向けると、白い吐息越しに、濁った空が見えた。
 冬だ。


   融解 U


 僕は目的の場所、大きなマンションを見上げた。
 高級住宅街の並びに位置する、真っ白で粛然とした佇まい。
 それは純潔なようで、潔癖なようでいて。
 鳥避けの白いネットが、大半のベランダに張られているからか、その格子模様がまるで精神病院のようにも思えた。
 歩道から階段を下った、窪んだ配置に造られたガラス張りのエントランス。入口脇に設置された、たくさんの数字が羅列したマンションポスト前を通過し、インターホンの機械正面で足を止める。
 暗記した数字、四一二と打ち込むと、待ち時間も無く、小さなスピーカーからノイズ混じりの音声が返ってきた。
『どうぞ』
 オートロック式の磨りガラスの扉が、ゆっくりと左右にスライドする。僕は、完全に開ききってから、通路の奥へと体を通した。
 マンション内の廊下も真っ白で、生気が感じられない。
 だが壁面に寄った塗装の皺を、切れかけの白色電球が明滅しながら照らしているせいか、通路全体が生物の体内のように、脈動している幻覚がした。その相反する光景が、僕の頭を蝕むように浸食する。
 長居はしたくない。僕はすぐにエレベーターに乗って、四階のボタンを押した。箱が上昇する感覚。息が詰まるような密室の後に、再度扉が開く。
 降りて右側にある部屋、四一二号室へ歩く。玄関扉の前に着いて、音符マークの呼び鈴を押すと、ブザー音の余韻が消える前に、その重厚な扉が開いた。
 中から現れたのは、彼女の母親だった。
「ああ、小泉さん。今日も来て下さって、ありがとうございます……」
 彼女の母親は、白とグレー混じりの髪を後ろで束ねた、小さな頭を下げた。
 何度も何度も。曲がった腰を、さらに丸めて。
 いつも来訪する度にお辞儀をされるのだが、決まって居心地が悪い。
 本人は感謝の意を表しているのだろうが、それだけではなく、まるで両親達の無力さ、悔恨までをも押しつけられているようで、鉛を飲んだような気分になる。
「いえ、いいんです。僕は、そんなつもりでやっているわけではないので」
 感謝されたいわけじゃない。金が欲しいわけじゃない。ましてや、ヒーローになりたいわけでもない。
 僕にとってこの行為は、ボランティアに似たものだった。むしろ、義務といってもいい。
 だが、そう言っても彼女の母親は、頭を下げるのをやめなかった。目を細くして、とても嬉しそうな顔をしながら、僕を家の中へと招き入れる。
 彼女の部屋へ歩く途中に、彼女の母親は言った。
「怜子(れいこ)はですね、いつもと同じで部屋に閉じこもっているんですが、今日は朝ご飯のワカメの味噌汁を、最後まで飲んでくれましてねえ」
「それは、よかったですね」
 変わるはずのない彼女の生活から、懸命に変化を手繰り寄せようとしているようだった。普通なら見過ごしてしまうような瑣末な差異を見つけて、本心から喜んでいる。
 彼女の部屋の前に着いた。彼女の母親は、コン、コン、コンと扉を三回ノックして、
「怜子、小泉さんが来てくれましたよ」
「お母さんはどっか行ってて」
 鰾膠(にべ)も無い言葉が、一枚の木戸の向こうから返ってきた。
 彼女の母親は僕の顔を見ると、にっこりと微笑んだ。
「それでは怜子のこと、お願いします」
 そして彼女の母親は、彼女の言葉通りに、買い物袋を携えて玄関から出て行った。最後に見えた横顔には、心労と同じ数だけ刻まれただろう深い皺が、いくつも染み付いていた。
 僕は息を吸って、ドアノブを掴んだ。白い扉を押し開ける。
 隙間から、暖かい空気が溢れだした。饐えた臭いが、鼻腔を刺激する。
 真っ白の部屋の中は、伽藍(がらん)としていた。
 天井からは、蛍光灯の光。閉め切られた厚いカーテンに、温風を吐き出しているエアコンと、壁に吊された植物のモノクロの絵画。床には毛糸のカーペットが敷き詰められていて、その上で泡を吐き出している加湿器と、重なった文庫本に、空っぽの木組だけの本棚、シーツの端が地面に垂れ落ちているベッド。すぐ側には、段ボール箱に無造作に入れられた衣類と、菓子の袋が詰まった円柱型のゴミ箱。あと、無数に点在する丸まったティッシュと、小さな透明のペットボトル、赤い旧式のラジオ。
 その空間の中央に、彼女は立っていた。ブルーのジャージ上下を着て、伸びきった黒い長髪を背中に纏わせて。静観怜子は、頬に薄っぺらい笑みを浮かべていた。
「五日ぶりだね、小泉くん」
「一週間ぶりだよ」
 僕はそう言葉を吐いてから、周囲を確認した。洋服掛け用の銀のポールは、すぐ右後ろにあった。これは静観が僕のために置いてくれたもので、他の衣類は一切掛かっていない。もちろん、彼女のも。
「そっかぁ。ラジオで聞いてるんだけど、忘れちゃうね。今度、この部屋にカレンダーでも置いとこうかな」
 必要ないけどね、と言い足して、静観はケラケラと笑った。僕としては、少しも笑えないのだが。
 僕がコートを掛けたのを確認して、静観はそのまま座った。僕も彼女の正面の、適度に離れた位置に腰を下ろす。
 静観のそばに座ると、静観が死んでしまうから。彼女との距離は、来るたびに慎重に推し量った。同じ部屋の中にいるのに、見えない隔たりがあるかのようだ。
 毛糸のカーペットが柔らかい。静観の母親が丁寧に掃除をしているのだろう。静観は全く気にしないままに、好奇心を帯びた穏やかな口調で、訊ねた。
「それで、外の世界ではなにかあった?」
 外の世界。
 静観は、この部屋を包容する世間全体のことをこう呼んでいる。
 静観にとってはこの白い一部屋の中が、彼女の世界全てだ。
 僕は、淡々と言った。
「高坂が死んだよ」
 へぇ、と彼女の声。どこか納得した表情だ。
「高坂くんかぁ。前から話には聞いていたけど、会ったのは高校が最後だったかな。いつも教室のすみっこで二、三人集まっている中にいたよね。運動部の男子がどけよって怒鳴ったら、びびっちゃって。私も真似して言ったら、高坂くん、体を震わせながら道を開けてね……そっかあ、ついに死んじゃったか。自殺だよね、なに自殺?」
「電車投身自殺。朝の通勤電車に、飛び込んだんだ」
 静観の目が、針のように細くなった。
「電車かぁ。すごいなあ、高坂くん。私だったら、怖くてできないよ。残酷だし、スプラッタだし。でも、交通機関を妨害したってことは、家族に怨みでもあったんだろうね」
 ふわふわした様子で話す、静観。僕は、静観の考察なんか聞きたくなかった。でも、彼女は続ける。喜悦の色を含んだ口調で。
「電車遅滞の賠償金、家族に請求が行ったんでしょ。両親との仲がよかったら、そんなことはしないよ。たぶん、小さい時から虐待があったんじゃないかな。これが高坂くんにできる唯一の反抗だった、と」
 高坂は、一人暮らしだった。以前にも高坂のアパートに訪問したが、家族についてはなにも言っていなかった。大学中退後も、家族から仕送りを受け続けての独立生活。家族に復讐、という線は薄いだろう。
 かといって、高坂の自殺の理由はわからない。遺書が出てくれば、明らかになるんだが。
「どう、当たってる?」
 静観は一頻り自説を喋ると、問いかけた。全てを見透かしたような、軽薄な笑みのままで。
 僕は、目を逸らして呟いた。
「遺書は見つかってないんだ。だから、わからない」
「ふうん。高坂くんも、やるねえ」
 僕は聞き返そうとして、言葉を飲み込んだ。彼女が体勢を崩して、空っぽの木棚に手を伸ばしていたからだ。
 指先に捕まえた、半透明のピルケース。
 静観はオレンジ色の錠剤をいくつか摘み上げると、口内に入れて、ペットボトルの水で流し込んだ。小さな喉仏が、微かに上下する。
 それから静観は、じっと僕の顔を見つめた。大きい、吸い込まれるような漆黒の瞳だ。
「それで、他にはなにかないの?」
 永い自閉生活のせいで、静観の容姿は大きく変わっていた。
 高校の時は端正な顔立ちで、クラスでも男子の取り巻きがいるほどだったが、現在は額や頬、鼻周りに無数の赤い吹き出物ができ、肌の張りと潤いが失われたため、窶れて見える。魅力的だった清楚な長い黒髪は、ぼさぼさに荒れて、よく見ると油でツヤツヤと光っている。運動不足のため、ジャージから覗く手足が変に生白かった。
 僕は、溜息を漏らして答えた。
「もう、ないよ」
 今日は、高坂の自殺の話題で持ちきりだ。
 だが、それは彼女の好奇心を満たすことはできなかった。静観はなお、貪欲に求める。
「前に話したことでもいいから」
 そう言われて僕は、仄かに汚れた白い天井を見上げた。
 一つ一つ思い出しながら、話し始める。 

 高坂徹(とおる)。篠木中央中学、高校の同級生。
 中学時代から感情を表に出すことが少なく、内気で、目立たないやつだった。高校では、よくわからないグループを組んで、よくわからない会話をしていた。
 あいつ、何のために生きているんだろうな。なんで学校に来ているんだろうな。他の生徒にわざと聞こえるように言われても、高坂は無反応だった。
 大学受験は第一志望に落ちたが、第二志望に合格し、そのまま入学。だが高坂にとっては、自由で指針がない大学の教育体制が合わなかったらしい。夏休み前には通うのを止め、以来ひきこもり生活を続けていた。
 一人暮らしのため、生活資金は家族から仕送りをもらっていた。バイトもせず、アパートの一室の中で時間を消耗する日々。次第に人と会話することも減って、表に出ることさえも難渋になった。そしてその無意味な生活が一年半続いた、本来なら大学二年生になっていた今年の冬に、電車に飛び込み自殺をした。
 先ほど聞いた連絡では、葬儀は密葬とのことだった。身体が電車の車輪の下敷きになり、ぐちゃぐちゃに轢き潰れて、とても人目には当てられない状態らしい。棺の覗き窓から死に顔を拝むことさえも、不可能なようだ。
 自殺の原因は、依然わからない。僕が最後に高坂の家を訪れたのは、高坂が電車に飛び込む一ヶ月前だ。彼は電気も点けずに、暗い寒い部屋の中で鎮座していた。
 自分が生きている意味がわからない、誰からも必要とされていない、消えてしまいたい。そう、漏らしていた。

 秋田幸司。篠木中央高校の同級生。
 小学校からサッカーを続けていて、高校受験で篠木中央高校に入学。運動と勉強を両立させた器用なやつだった。
 クラスの中では一際目立った運動部の連中とつるみ、授業中にも馬鹿騒ぎをし、数々の悪行を働いていたが、高校一年生の時から国家公務員を目指していると、自信満々に吹聴していた。そのおかげか、男子女子から共に好かれる存在だった。
 高校三年生になって部活を引退した秋田は、全力で受験勉強に打ち込み、結果見事に難関の北海道都学園大学に合格。理想的な人生のレールに乗ったように思えた。
 しかし大学二年生の春。所属するフットサルサークル内で、秋田が幹事を務める新歓コンパが催された時のこと。秋田は、未成年の新入生女子に無理に酒を勧め、その後泥酔したところを介抱の名目で自宅に連れ帰ると、サークルの男子仲間に連絡をして集団で強姦したことが、被害者の女子数名の証言から発覚した。
 秋田は大学側から呼び出され、実名報道こそされなかったものの、すぐに退学を宣告された。だが、秋田が恐れていたのは退学の一件よりも、実家の父親のことだった。
 秋田の父親は、厳格な大手銀行の社長で、空手の有段者だった。秋田は父親に幼い頃からたっぷりと教育され、叩かれ、殴られ、蹴られ、時には骨を折られ、絶対服従を徹底された。文字通り骨身に染みるほど、父親の恐ろしさを刷り込まれていた。反抗なんて、以ての外だった。そのため秋田には反抗期はなく、家に帰るのが怖かったため、遅くまでサッカーに明け暮れることでストレスを発散していた。実家の東京から遠く離れた北海道の大学を志望したのも、それが理由だと言っていた。
 秋田の人生は、袋小路に追い詰められていた。北海道に留まることも出来ず、実家に帰れば本当に殺されてしまうかもしれない。国家公務員なんて夢のまた夢。金が尽きたから東京に戻ってはきたが、行く当てがない。そんな彼に僕が声をかけてから、早三ヶ月が経過していた。
 秋田は僕の家が気に入ったらしく、全く出て行く気配がない。働きもせずに、人の家の冷蔵庫を漁っている。そのくせに、時折不安に駆られては、膝を抱えて震えて泣いている。

 二ノ宮夏貴(なつき)。篠木中央高校一年の時の同級生。
 僕らより歳が一つ上だが、学内で暴行事件を起こしたため留年し、同じ学年になった。顔は入学式で見ただけで、それ以降一度も高校には出てきていない。そしていつの間にか退学していた、影が薄い人だった。
 同じクラスの連中は、いつも空いた席を指さして笑っていた。いつ来るんだろ、来るわけねえよ、なんて。そして愛情と皮肉を籠めて「二ノ宮先輩」と呼んでいた。
 僕らは知らなかったが、二ノ宮先輩はこの翌年、僕らが高校二年生の時に父親になっていた。
 高校中退後、親の仕事を継ぐために大工の道に入った二ノ宮先輩だったが、魔が差したのか、当時中学生だった近所の女子に手を出してしまった。合意の上の性交ではあったが、避妊の知識に乏しかったため女子中学生は妊娠し、翌年には子供が生まれた。結果、二ノ宮先輩は、十代にして家庭を持つこととなった。
 責任を取って結婚をしてから、二年目にして第二児が産まれた。十七歳の妻と、二人の幼児を養っての家庭生活。二十歳を迎えて、大工の職を継続する二ノ宮先輩には、もう限界だった。
 そして、今年の冬に離婚。原因は、耐えられなくなった二ノ宮先輩の浮気だった。二人の子供は二ノ宮先輩の妻の元に引き取られ、これからは養育費を仕送りしながら生活していかなければならない。
 二ノ宮先輩の家には、明日初めて訪問する。噂では、現在は朝から晩まで酒に溺れ、自殺願望を抱えているらしい。ほとんど面識はないが、それでも僕は会いに行くことにした。短い期間とはいえ、かつては同じ薄命世代だったのだから。
 そう、これだけが、同じ薄命世代を生き残った僕にできる、唯一の贖罪なんだ。
 静観が弄っているラジオから、超音波が流れ始めた。
 チャンネルやボリュームのつまみを回して、一生懸命に調整している。徐々にノイズが少なくなり、演奏が聞こえる。
 音楽番組のようだ。

 北極星 超新星
 流星群にお願いよ
 誰か 止めて
 あの子の自殺(スーサイド)

 低体温女性ボーカルの、物憂げな歌声。

 新幹線 連絡船
 運命線よ教えて
 わたし 明日は
 どこでどうしてるの

「いい曲だよね」
 静観は、歯を見せて笑った。
 つまみを弄っている左手の手首には、何重もの線。古い傷跡を、新しくできた傷が消している。
 彼女が、この曲のなにを気に入ったのかはわからない。
 僕は、黙って頷いた。


   同化 U


 僕は腕時計を見た。もう時間だ。
 立ち上がって、帰り支度を始める。ポールに掛けたコートを羽織った。
 静観は変わらず、座ってラジオに触れている。僕はその様子を見下ろしてから背を向けて、部屋の出入り口へと歩く。
 扉のわずか手前で、後ろから聞こえた。
「たぶん、薄命世代なんて存在しないんだよ」
 足を止めそうになったが、振り返りはしなかった。そのまま、ドアノブに手を掛ける。
「私達だけじゃない、みんな同じなんだよ。全人類みんな、先のことがわからなくて、怯えている。いろんなことに悩んで、悩んで、疲れ果てている。本当はみんな、心が弱いんだ。ガラスの心を、一生懸命に着飾っているだけ。でも、私達の世代には、例外があった」
「例外?」
 僕は、握った手を放した。
「みんな同じことを考えているんだ。みんなに好かれたい、誰かに必要として欲しい、一人きりになりたくない、幸せに生きたい。高坂くんも同じことに悩んでいた。でも、死んだ。馬鹿だよね」
 静観が、カーペットから立ち上がった気配がした。静かに、近づいてくる気配も。
 振り返りたかったが、顔を合わせると静観が閉ざしてしまいそうで。だから、そのまま佇んで待った。
 僕の少し後ろで、足音がぴたりと止まった。彼女の、ああ、という物憂げな吐息が聞こえた。
「私も考えていた、高校まで。みんなに好かれたいって。誰かに必要として欲しいって。作り笑顔と愛想を、周囲に振りまいていた。大学生になってからは、たくさんのサークルに所属して、友達の輪を広げていった。この頃は順調だった。でも、二年生になってから、なにかがおかしくなった」
 声に翳りが差す。
「同じ旅行サークルの神矢(かみや)くんと、付き合い始めたんだ。大学に入ってから、初めての彼氏だね。でも付き合って一ヶ月経って、綾音(あやね)に顔を叩かれたの。私の彼氏に手を出すなんてどういうつもり、って。神矢くん、綾音とも付き合っていたんだ。同じサークルの中で二股恋愛、なぜか私が神矢くんを誘惑したって話になっていた。神矢くんに訊いたら、ごめん、俺が悪かった、綾音のことはなんとかする、って言ってくれた」
 後ろから、鼻を啜る音がした。
 僕は目を閉じて、耳を傾ける。
「神矢くんは悪くないんだと思う。ちょっと不器用なだけで、彼も被害者なんだよ。本当に申し訳なさそうに頭を下げたから、私は許した。でも、綾音の攻撃は止まらなかった。顔を合わす度に、口汚く罵られて。足を蹴られたり、持ち物を隠されたり、階段から突き飛ばされたりして。サークルで会う時には、綾音と仲間に集団で暴行されたこともあったよ」
 静観が話す内容は、どれも初めて聞くものだった。
 静観も両親にさえも話していないのだろう。喋り方が震えて、とても辿々しい。
「耐えられなくなって、旅行サークルの脱退届けを出した。でも、部長が承認してくれなかった。もうちょっとで夏合宿だから待ってくれ、一年生の費用は先輩達が持つのがこのサークルの伝統だ、お前も一年の時には奢ってもらっただろう。それでも辞めるんだったら、一年生達の旅行代と、夏合宿と冬合宿、クリスマスコンパ、来年の新年会と追い出しコンパの金全部を支払ってから辞めろ。そう言われた。そんなお金、すぐに払えるわけがない。私はなんとしても、夏合宿までに辞めたかった。私の噂は一年生にも流されていて、上からも同年代からも、後輩からも白い目で見られていたから、合宿先でどんな目に合うか、想像しただけで怖かった。最後の手段、大学に訴えようとも思ったけど、それをしたら二度と大学に来られなくしてやるって恫喝された。どうしようもなくなって、だから、私は結局――大学を辞めた」
 静観は原因を話し終えると、生(い)き苦しそうに喘いだ。
 僕はただ、無言だった。
「高校生の時に描いていたものなんて、所詮絵空事だったんだ。みんなと仲良くなりたい、誰かに必要とされたいなんて、馬鹿らしいことなんだよ。一人きりの方が、他人を気遣う必要もないし、誰かに嫌われる心配もない。そういえば、神矢くんも綾音側に加担していたって噂があったけど、ほんと今更だよね。あはは」
 力の抜けた笑い声が、白い部屋に消える。
 僕には、少しも笑えない。
「私はね、人間関係に疲れちゃったんだ。だから閉じ籠もることにしたの、誰も私を傷つけない、私だけの世界に。でもね最近、付き合ってもいいかな、って思える人が現れたんだ。ねえ、小泉くん」
 一歩、静観が近づいた。
「小泉くん、私、処女なんだ」
 また一歩。近づいた。
 いつもの境界線を越えて侵入する、静観。
 徐々に、カーペットが沈む感触が強くなる。
「綾音達に口には色々突っ込まれたけど、下は奇跡的に無事なんだよ。小泉くんは、童貞?」
 僕は、首を横に振った。
 静観は、もう真後ろにいるらしい。彼女の温かい吐息が、首筋にかかる。
 目の前の白壁が、揺らいだような錯覚がした。
「ねえ、小泉くん。やろうよ、セックス。体験しないままなんて、損だよ。どれぐらい気持ちいいんだろうね、それすらも妄想なのかな? ……大丈夫だよ小泉くん、今日はどれだけ近づいたって、手首を切らないから。死なないから、安心してやっていいんだよ」
 僕は、強く呟いた。
「嫌だ」
「なんで」
「だって、ヤったらお前、死んじゃうだろ」
 僕はそのままドアノブを掴むと、引き開けて外に出た。
 静観の顔は見なかったが、にやけているのが容易に想像できた。


   明日


 自宅に帰ると、秋田はいなくなっていた。
 コタツの上には、一枚の紙きれと、重しに置かれた缶コーヒー。
 紙面には、数行の文章が走り書きで残されている。
 僕はその紙きれを読まずに丸めて、ゴミ箱に放った。縁を掠めて、入らずに落ちた。
 コートも脱がずに、白い壁に寄りかかったまま座り、缶コーヒーの側面を見る。微糖。
 プルタブを開けて、口につけた。
 苦い。とても不味い。
 内側から凍えるほど、冷たかった。
 缶を片手に、ゴミ箱から零れた紙屑を眺める。
 秋田の言葉。
 僕らは、どうやって生きていけばいいんだろう。
 抽象的で、馬鹿馬鹿しい問いだった。
 答えなんて、決まりきっている。
 なにがあろうと、どれだけ辛く悲しいことがあったとしても。
 僕らは、この現実の世界の中で。
 ただ生きていくしかないんだろう。

 そうさ、僕らは薄命世代。
 誰よりもガラスの心で。
 誰よりも死に近い。

 そう、僕らは薄命世代。
 生きることに不器用で。
 不毛な足掻きを続けるだけ。 

 所詮僕らは薄命世代。
 明日には誰かが死んで。
 明日には、僕らがいるのだろう。


―― 蜘蛛の巣の話 了 


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