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作品名:Ga-Row 〜The space they called 'Street Artists' are〜 作者:nakoso

第37回 TOMO / 自遊スペース

 C館に入ると、ゆったりとした曲調が耳につく。吹き抜けスペースの奥で、男3人編成のバンドが音を紡ぎ出していた。アコースティックギター、エレキベース、ドラムの組み合わせで。ドラムだけでなくギタリストもベーシストもイスに座って、実にリラックスして演奏している。だからこそ、こんなに落ち着いた曲が弾けるのかもしれない。
 Artactのアートライヴとは違い、日当り良好な喫茶店にいるような空気。ゆっくりしてもらうための配慮からか、さっきはなかった木組みのイスが10数脚、まばらに置かれている。
『I can move 〜お好きな位置でお使いください〜』
 背もたれに書かれた文字の通り、C館に訪れている人たちはイスを引っ張って談笑していたり、腰を落ち着けてバンド演奏に耳を傾けていたりと、活用してそれぞれに自由な時を過ごしていた。
 自遊空間――それがC館のコンセプト。



  <Thirty-Seven : TOMO / 自遊スペース >



「どれが香耶の絵?」
 壁の絵を見渡しながら、明仁は智に尋ねた。
「全部です」
「全部!?」
 あっさりと答えると、玖美が素っ頓狂な声を上げる。
「すごぉい」
 感心する彼女とは対照的に、明仁は鼻を鳴らすだけ。
「これだけ大きな絵を描くのって、時間かかるんじゃない?」
 少女と羽根の壁に歩み寄ると、玖美はわかりやすいほどに興味を示した。
「香耶の場合、そんなにかかってませんよ」
「あの子独りで描いたの?」
「描いたのは香耶独りです」
 明仁に答えながら、頭の中に一澄が思い浮かんだ。ヒナにとって、一澄はかなりの支えになっていたと思う。今さらながら、壁の絵を完成させたヒナに驚いた。
「へ〜。あの子、あんなにちっちゃいのに」
 玖美の言葉に思わず吹き出す。
「ちっちゃいなりにがんばったんですよ」
 ヒナは小さい。なのに描く絵は大きい。どんなに大きなキャンパスだろうが、ヒナは描き上げてみせるだろう。
 袖をたくし上げて。
 顔にペンキを付けて。
「この絵も、いつかなくなるんだろ?」
 智のとなりで絵を見上げていた明仁が、達観めいて呟いた。
「よく知らないけど、こんな所に描いた絵が、保存状態が良いとは思えない。塗料が剥がれて、いつかはなくなる――――そんなものに力を注ぐなんて」
「それでいいんですよ」
 少女の横顔を眺めながら智は言い切った。穏やかながら、言葉は力強い。
「形として残すことだけがアートじゃない。この絵も、いつかはなくなる――その通りです。ただ、消えてなくなってしまう前に、より多くの人に見てもらいたい。その中のたった一人だけでも、憶えていてくれればいいんです。その人にとって決して忘れられない、いい刺激を与えられるものを創るのがアーティスト。言ってみればリレーみたいなものです、アートというのは。次のアーティストに刺激を与えるものなんです」
 最後に智は、もちろん、と付け加え、
「自分なりの考えだから、違う考えの人なんてごまんといますけど」
 明仁を振り返る。
「我楼は、そのためのアートギャラリーってことかな?」
 少女と羽根の舞う絵を見上げた彼のため息には、やはり呆れが窺えた。
「これだけの人を集める力は認めるよ。ここに来た時は、正直驚いた。もっと閑散としたところを想像してたからね」
「アートを認める事はできませんか?」
 トモの問いは苦笑しか買わなかった。
「何も感じないんだ」
 淡白な言葉は、ずしんっと智の心を圧迫した。
「香耶って、こんな絵を描いてるのね」
 玖美が感慨深そうに零す。その横顔は微笑。顔立ちはヒナにそっくり。
「香耶のこういう絵、初めて見る」
 家を出る前に1枚だけ絵を描いたということを、ヒナから聞いたことがある。
 明仁に破り捨てられたということも。
「私は好きよ」
 緩やかに流れる曲に彼女の言が乗っかった。
「香耶が聞いたら喜びますよ」
 智を振り向いた彼女は、微笑っていた。
「そうね」
 ため息みたいに、淋しそうに。
「けど、言えないでしょ」
 曲が終わった。バンドの近くでイスに座っていた数人が、まばらに拍手を送る。
「言ってあげればいいじゃないですか」
 何も言わずに、彼女の首が横に揺れた。
「絵から離れられなくなるからな」
 明仁の声音の響きは、むしろ憎しみに近かった。
 控えめに、ギターの音が震える。陽気なリズムをドラムが打つ。遅れて、ベースが音階を飛び回る。どこかで聴いたことのある、懐かしいメロディー。
 ドレミの唄だ。
 サンバのようなレゲエのような。南国の空気にアレンジされた曲は伸びやかに、浮遊感を携えて館内に飽和した。
 ――へえ。
 胸中でうなる。
 幼い頃に耳にし、歌っていた曲がこうも立派なインストになるなんて。
 まったり聴いていたかったが、そうもいかないことをすぐに思い出した。
「そこまで、香耶を絵から離したいですか」
 気持ち良さそうに演奏しているバンドから、視線を明仁へ移す。
「無駄なものだからね」
「きっぱり言いますね」
「さっきも言った通りだよ。芸術に時間を割くなんて、僕には信じられない」
「香耶には絵が必要なんですよ」
「なくたって生きていけるものだよ。むしろ、ない方が時間を有効に使えるんじゃない?」
「明仁さんは、香耶をどんな人間にしたいんですか?」
 焦燥に似た衝動が智の声帯を打つ。
 明仁の片眉が上がった。つまらない質問だと感じた時の、彼の癖を思い出した。
「少なくとも、そこに芸術はないよ。香耶にはふさわしい教養を身に付けてほしいんだ」
 話す彼の顔が、父親というより兄のそれに見えた。
「つまらない人間になりますよ」
「それはどうだろ? 良識ある人間になると思うよ」
「アートにも良識はあります」
「それはカテゴリー内における良識だろ? 枠から出たら無力だ」
「娯楽を知らない人間なんて、単なる機械だ」
 唾棄してから、言い過ぎだとはっとした。
 感情に身を任せ、恥ずかしいことを口走ったと、後悔した。
「……すみません。違うんです」
 明仁から視線を逃がして、智は額を掻く。
「人、それぞれ、価値観は違います」
 気まずさに負けまいと言葉を絞る。力いっぱい、搾り出す。
「明仁さんのように、アートをよく思わないような人だっています」
 入り口をくぐるなり歓声を上げた2人の女が、視界の隅に映った。
「そんな人たちにとって、やはり芸術はいらないものなんでしょう」
 秋哉は今頃、音の波に全力を注いでいる頃だ。
「けれど、芸術を必要としてる人だっているんです」
 ヒナは、どんな思いでフロアに立っているだろうか。
「だから、芸術は今まで、こうして続いてるんです」
 一澄に渡したカメラは、彼女に何をもたらすか。
「芸術を否定する人を、否定はしません」
 開きっぱなしのドアから、外の喧騒が聞こえる。
「ただ、必要としてる人がいることを、認めてほしいんです」
 ヒナの描いた絵。彼女の分身。
「我楼は、そういう人たちのためにあるんです。アートに一生懸命な人の集まりで、アートを受け入れてくれる人が集まって、それぞれの時を創り出すための場なんです」
 明仁は静かに、智の言葉を聴いてくれていた。単なる頭でっかちな人間なら腐るほどいるこの世界で、彼は耳を傾ける力を持っている人間だと、全身全霊を込めて話すべき人間だと――智は感じた。
「香耶は、芸術が必要な人間なんです」
 ゆっくりと、明仁は瞬いた。智の想いは届いただろうか。それとも、どうしようもないヤツだと軽侮しているのか――少女の絵を見上げた彼の表情は、思考を読み取るにはいささか変化が少なかった。
 横目で見ると、玖美がいない。
 ――あれ?
 軸足ごと体をひねって姿を探すと、彼女は反対側の壁にいた。壁一面に色とりどりのペンキが撒かれ、英字新聞が貼られた壁を熱心に見入る彼女の後ろ姿は、もはや観客の1人だった。
「――トモー!」
 さらに、あらぬ方向から名を呼ばれた。慌しいなぁ、などとぼんやり考えながら振り向く。ハスキーな声で主はすぐにわかったが。
「もうすぐ、目玉イベント始まる時間よ」
 入り口から小走りでやってきた夏見里央は、遅れて明仁に気付いたらしく、ぎこちない会釈をしてから、
「えーと…………知り合い?」
 不躾にも聞いてきた。
「ヒナのお父さん」
「ああっ」
 大げさに頷いた彼女は改めて頭を下げ、
「初めまして、夏見里央です。香耶さんには写真を撮らせてもらっていまして――あ、そうだ」
 快活な紹介を途中で投げ出して、腰のツールバッグからポストカードを取り出す。
「これ、どうぞ。私お気に入りの1枚です」
 何かと思えば、ヒナを被写体にしたカードだった。うつむき加減のアングル――右側から、白のペンキ塗料を頬に付けたヒナが笑顔でレンズを覗き込んでいる。にんまり顔越しに、アスファルトに描かれた羽根が2枚、見えた。
 まるで彼女の羽から抜け落ちたように、やわらかく。
「ありがとう」
 受け取った明仁の言葉は、どこか芯が感じられなかった。字面だけの発音。
 不意を衝かれたような、呆れたような、こんな彼の顔を初めて見る。人当たりが良くて、いつも余裕を感じさせる表情なんて、そこにはなかった。
 いつのまにかひょっこり戻ってきていた玖美が、彼の脇からポストカードを覗く。
「あら」
 すぐに、彼女の頬がやわらかく緩んだ。
「いい顔してるわ」
「私の好きな表情ですから」
 ピンぼけした答えを満足そうに、里央は返した。
 BGMだったバンド演奏(ドレミの唄)がテンポダウンして、ドラムのタムが形良く終わりを告げる。先程よりも少し増えていた観客が、彼らに拍手を送った。立ち上がったバンドメンバー3人が、軽く頭を下げる。
 玖美と一緒にカードを見つめる、明仁の唇が小さく動いた。
「――――――――いい顔だ」
 拍手が小規模だったおかげで、声音だけははっきり聞こえた。



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