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作品名:Ga-Row 〜The space they called 'Street Artists' are〜 作者:nakoso

第34回 AKIYA / ステージまでの7分間

 トイレの中でも、フロアにあふれる重低音がフィルターを被せたように響いていた。小便器が2つとボックスが1つのトイレスペースは決して広くはないものの、不快なほど狭くもない。
 用を済ませた秋哉は、洗面所で手を洗うついでに顔も洗った。
「普通なんだな」
 首から提げていたタオルで顔を拭う。
「我楼のでっけぇイベントだからって緊張するもんかよ」
 鏡に映ったサトは、やっぱり無表情。
「お前だって緊張してるようには見えねぇけど?」
「イベントのことじゃなくて」
 鏡の中、壁際で腕を組む彼は短く否定した。
 お互いに虚像同士を見つめあう図――何かの風刺画みたいだ。距離は近いのに、実像を見ていない。秋哉に後ろめたさなんてないのに、振り返る気になれない。
 シンクに流れっぱなしの水を、蛇口をひねって止めた。
「ヒナのこと、好きなんじゃねぇのか?」
 ――そっちか。



  <Thirty-Four : AKIYA / ステージまでの7分間 >



 鼻でため息。
「そう簡単に、好きじゃなくなれるわけねぇだろ」
「さっきのヒナ、どこか不自然だった」
 ついさっきのことを振り返る。ヒナの笑顔は、見慣れた人間であれば明らかにわかるほど、ぎこちなかった。
「気まずくなるわけにもいかねぇだろ」
 フロアが一斉に沸く。曲がピークを迎えていた。
「別れたからって気まずくなんの、何か嫌なんだよ。いつもの自分失うなんて悔しいじゃねぇか」
 洟をすすって、、秋哉はドアを見やった。あの向こうには音と光が飽和し、熱気あふれる空間がある。
「ヒナはどう感じてんだろな」
 サトの視線と一緒に、彼の呟きがぽとりと落ちた。
「さあ?」
「別れてから、話は?」
「してない」
「どうして?」
「向こうがしてくれねぇ。避けられてんだろ」
 秋哉が肩をすくめる。サトはそれ以上、言葉を発さない。
 言うべき言葉を探しているように見えたが、そういうわけでもないらしい。
 言うべきかどうかを、迷っているように思えた。
「何を言いたいんだ?」
 ゆっくり、秋哉は振り返った。持ち上がったサトの視線が秋哉を見据える。
「秋哉は、ヒナに必要なんだ。秋哉だって、ヒナが…」
「けどよ」
 サトの言葉を遮った。
「ヒナは我楼からいなくなるんだろ?」
 我ながら、穏やかな口調だった。
「まだ、そうと決まったわけじゃない」
 淡々としたサトの口振りに苛立ったのか、知った風な発言が癪に障ったのかわからない。
ただ、気に入らなかったのはたしかだ。
「ヒナがそう決意したんだ」
 秋哉の眉間に力が入る。
「今、トモがヒナの親父んとこに行ってんだよ」
 思いがけない一言に不意を突かれ、眉間の力はすぐに緩んだ。
「あ?」
 さぞかしまぬけな顔だったと思う。しかしサトは吹き出したりすることもなく続けた。
「トモはヒナのことをよくわかってる。自分で感じてる以上に。我楼からいなくなってほしくないのはトモも同じだ。だから動いてる」
 要点をさらに掻い摘んだサトの話し方は、聞き慣れない人には聞きづらいものだと思う。
「ムダなんじゃね? 芸術に関して否定的なんだろ?」
「あきらめたくないっつってた」
「自分はどっか行くのにか?」
 嘲笑で秋哉の鼻が鳴った。
「身勝手だ」
「我楼からいなくなるわけじゃない」
「親父は頑固なんだろ? そう簡単に説得できるもんかよ」
「ヒナがいなくなってもいいのか?」
「いいわけねぇだろうが」
「トモだって同じだ」
 同じ言葉を繰り返す。もはや公認レベルの口下手なサトが、こんなにまで強く話すことなどなかった。こんなにまで強く、秋哉を見つめることもなかった。
 ギッ――勢い良くトイレのドアが開き、フロアの音たちが空間を求めて飛び込んだ。沸く歓声を伴い入った男は、秋哉とサトの間を通って小便器に立った。
 鏡に向き直った秋哉は、意味もなく、再び顔を洗い始める。ちらりと盗み見たサトの虚像は、ぼんやりと天井を見上げていた。
 いつもの彼だ。
 用を足し終えた男が、秋哉の脇に立った。1つしかないシンクを譲って、秋哉は顎に垂れる雫を拭った。ひんやり感でさわやかになった顔。
 無関心な男は、入ってきた時と同じように静かに去っていった。
 ギッ――男の後ろ姿を遮ったドアが閉まり切ると、フロアの音に再びフィルターがかかる。こもった4つ打ちが地を這う。
 変に気まずい沈黙が落ちた。
「……ヒナを止められるかなんて、俺にはわかんね」
 サトが口を開いた。ドアの外で歓声が、ひと際大きく巻き起こる。
「けど、トモは止めようとしてんだ」
 そろそろスタンバイしねぇとな――頭の片隅で、秋哉は呟いた。タオルを首に掛けて、ドアに足を向ける。
「俺に何をしろってんだよ?」
 話の行き着くところが見えない。回りくどい話なんて、香水を付け過ぎた女と同じだ。気持ち悪くて苛立ってくる。
「受け入れてやってほしい」
「は?」
「つまり……」
 サトは口ごもった。視線が宙を舞う。
 ――律儀だな〜、俺ってば。
しばらく舞い続ける目が秋哉に戻るまで、待ち続けた自分は辛抱強いヤツだと感じた。
「……つまり。ヒナも秋哉も好きなんだよ、俺は」
 必死に探したらしいその言葉はやはり回りくどくて、半ば呆れ返った秋哉の首はかくんっと傾いだ。
「おまえらしいな」
 しかしながら、その想いは伝わった。
こいつは不器用なだけだ。感じていることを表現したいのに、伝え方を知らないだけ。
 ヒナと同じだ。ちょっとだけ人とずれている、ただそれだけのこと。
「それ、つまりって言わねぇよ」
 ドアを開ける。ピークを迎え盛り上がり、四方八方へ暴れ回る音の洪水が秋哉の身を震わせた。
「――――――――わかったよ」
 きっとこの洪水に弾かれて、サトの耳には届かなかったと思う。
 男女入り乱れたフロアはすごい熱気だ。レーザーの光が音符と一緒に揺れる空間。1本のレーザーが秋哉の視界を過ぎった。
 ヒナは、もうフロアにいるんかな――光の残像は余韻を残して消えた。
 重低音が腹の底を打つ。DJブースには2人の男が立っていた。我楼A館のイベント限定で組んでいるDJユニット。2人ともそれぞれに活動しているのだが、何故か我楼ではユニットでしか見たことがない。
 そのせいか、すっかり我楼の名物だ。
 2人が放つ音に体を揺らしながら、ステージの上手に向かって人波を縫っていく。不意に背中を叩かれて振り向くと、見知らぬ男女の笑顔があった。クラブではよくあること――秋哉のDJアクトを何度か見に来ている客だろう。
 コミュニケーションとして手を上げて応え、秋哉はステージによじ登った。
 途端――――――――クラウドの歓声が膨張する。
突然のことに振り返った秋哉は、フロアの右から左まで、人垣から突き出た腕に圧倒された。
「すっかり人気者だ」
 遅れてステージに登ったサトが耳打つ。
「しくじんなよ?」
 皮肉たっぷりに言ってくれた、彼の背を叩いた。



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